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テーマ:ヨーロッパ旅行(4227)
カテゴリ:ヨーロッパ旅行・見聞記
こんばんは さて、ここんとこ遊びの記事で息抜きしましたので、また強制収容所についての記事を続けたいと思います。 どうぞよろしくお付き合いお願いいたします・・・とはいえ、今回の記事も重たいです。 ですから「こういうの苦手」って方は、どうぞスルーしちゃってくださってもかまいません。
この強制収容所ですがあの門をくぐると、向こうに大きな記念碑が建ってるのが見えます。 その近くに行ってみました。
すごい空模様です。 もうこのころには雨も降り始め、ゼウス様もお近くにいらしてるようでした。
拡大します ここの犠牲者の出身国が彫られています。 その内訳は、 アルバニア、フランス、ギリシャ、ベルギー、ルクセンブルク、ポーランド、オランダ、旧ユーゴスラヴィア、旧ソ連、デンマーク、ドイツ、オーストリア、イギリス、旧チェコスロヴァキア、スペイン、イタリア、ノルウェー、ハンガリーと、なっています。 ここでオーストリア(ヒットラーの出身国)やイタリア、とあるのにビックリしましたが(というのもイタリアは日独伊3国同盟の仲間だったので)、多分イタリアやオーストリアに住んでいたユダヤ人のことだろうと思われます。あのアンネ・フランクもドイツに生まれたユダヤ人でしたから(フランクフルト生まれ、その後ナチスを避けオランダへ移住)。 さてこの記念碑を正面にみて左側には、俗に言う Station Z(シュタツィオン ツェット)があります。 今はこのSation Zは戦後、連合軍に破壊されて土台が残るのみ、その土台の上に雨風による破損を防ぐため、屋根が新しく取り付けられています。近年、この上に記念館を建てる予定だとか。 このSation Zという名前にはその理由があります。 アルファベットの一番最後の文字がZです。 つまり、皮肉なことにここに送られてきたものはここが最終駅となるのです。 1941年に建てられた当時はここに、銃殺の部屋(頭に銃を撃ち放つ)がありました。その後1942年に焼却炉が建てられたそうです。 では、その土台しか残ってない焼却炉を見てみましょう
ガス室はこの左奥の階段を上がった部屋でした。
ところで、このナチスのガス殺人ですが、最初はガス殺にはトラックの排気ガス(一酸化炭素中毒)を利用していたのですが、エンジンの故障などでうまくいかないことがある、時間と手間がかかりすぎる、完全死に至らない場合もある、などの理由によって別の方法がとられることになりました。 私は以前、ガス室といえば部屋の中にガスが送り込まれるものとばっかり思ってましたが、実はチクロンBという殺虫剤を天井やドアについた小さな窓のなかから、室内に放り込むのです。 アウシュヴィッツの所長であったルドルフ・ヘス(ヒットラーの側近のルドルフ・ヘスとは違う人物)はこれを自分のところに訪ねてきたナチスの高官に、ガス室で苦しむユダヤ人たちの姿を時々見世物にして喜んでいたといいます。 少量、短期間で完全死に至らしめることが出来る(といっても捕虜はもがき苦しみます)、ということで大量虐殺が目的で建てられたアウシュヴィッツなどでは、このチクロンBを使っていました。 ちなみにオウム真理教もこの毒性物に目をつけ、例のあの事件をおこしたそうですが・・・・・
実際に使用されたチクロンBの缶
アウシュヴィッツのガス室前で、順番待ちする人々
そのZ棟内部に建つ鎮魂碑
このZ棟を出て、また次の建物へと私と天敵君のお兄ちゃんは向かうわけですが、もうこのころにはお兄ちゃんは無口で、何も言わなくなってしまいました・・・・・・・・。 次回はその次の建物について書きます。 あと2回ほどこのシリーズは続きます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.06.20 05:58:40
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