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テーマ:ヨーロッパ旅行(4227)
カテゴリ:ヨーロッパ旅行・見聞記
こんにちは
私は普段、めったに写真は撮らないのですが、このときばかりは皆様にいろいろお見せしようと思い、頑張って撮ってきました。 が、普段写真を撮らない者がいきなり撮ったため、ヘタクソな写真を公開することになり、申し訳ないです。 では、前回の続きです。 Station Zを出ると、左側に長細い建物が見えます。 もともとは2回立てだったらしいこの建物は収容所内の病院、という名目になっております。
この中も公開されてて・・・・といっても展示室になっています。従って、当時の面影というものはありません。 ところで、どこの収容所内にも病院はありました。 ただ、本当にそこで病人の看病をしたかどうかは、定かではないですが・・・・・・。 アウシュヴィッツなどでは、病人は真っ先にガス室送りになっていました。 まず、ユダヤ人が到着するとそのプラットホームで、ナチスの医者がガス室送りか、強制労働に狩り出すかを、区別するのです。で、そこで働くのは不可、と判断されたものは即、ガス室送りでした。 これは私が子供のころ読んだアンネの伝記からの頼りない記憶を辿った話になりますけど、確か、その医者連(これは確かベルゲン・ベルゼンで)の前を裸で彼女たち(母、姉、アンネ)は通らなくてはならず、もちろんアンネ姉妹は恥ずかしがって、もじもじしています。 そこへ彼女たちの母が、 「医者は病人とそうでないのを見分けようとしているのよ、そこをそのようにおどおど歩くと、即、病人とみなされます。ここは胸を堂々と張って歩きなさい」 といい、アンネ姉妹はそのとおり、医者の前を素っ裸でも勇気を出して、歩いていきます。 無事、娘たちが『健康組』に入れられるのを見届けた母は、 「神様、どうかあの子達をお守りください」 といって、そこにバッタリ倒れてしまいます。それで彼女は『病人組』に入れられてしまい、それから後のアンネの母のことは誰も知りません。
残されていた医療器具
いくつかの収容所では、この病棟内の部屋で、捕虜を使って人体実験をしておりました。ある収容所では安上がりで簡単に出来る大量避妊の研究がなされていました。 と、いうのはユダヤ人女性を不妊にしてしまえば、ユダヤ人は子孫が出来なくって滅びる、という構想からです。 そのためたくさんの女性がその不妊実験のためのモルモットとして、いろんな薬剤などを飲まされたり、体内に入れられたりして苦しみながら死亡、運よく生き残って元の夫や恋人に再会できたとしても、自分がもう妊娠できない体になってしまったことを、泣く泣く告げなくてはいけない女性もたくさんいました。 もちろん、男性にも同じような実験がなされていましたが・・・・・・・。 あと、海水を飲むだけで何日生きられるか、高高度から落下する場合、どれだけのショックが人体に与えられるか、などの軍に関する実験もこの捕虜を使ってなされていました。 そのほかは、ばい菌、ウィルスなどを注射され、医薬品の実験台になったり、肌に刺青のあるものはその皮膚をはがされ、シオリやランプシェードにされていました(このことを前々回だかに紹介したイギリスのコメディ番組でもじっています)。
その病棟を出ると、今度はこの建物に着きました。
死体安置所です
その中にはいちおう解剖室もありました 中央に置かれてる赤いバラ
すごく湿った、ひんやりする空気が流れてきます。 ちょっと降りるのが、怖かったです。 壁に書かれた説明書による、ある捕虜の証言。
・・・・・ここへは、必ず我々の誰かが一緒にSS監視員の供をして一緒に来るのでした。 というのも、彼らは怖がって一人でここへは来たがらなかったからです・・・・・・
下へ降りていくと、この下の広間のようなホールが2部屋、ありました。
私と天敵君のお兄ちゃんは、何もないと分かっていながらも恐る恐る、入っていきます。 この部屋の空気はあの当時の空気と何も変っていないのではないか?と思えるほど、重かったです。 お兄ちゃんは、「ここにたくさん、死体が積み重なってあったんだろうね~」とぼそっとつぶやきました。 まるでその光景が浮かんでくるようです。 さすがに私もお兄ちゃんも、ここはさっさと逃げるように出て行ってしまいました。 外に出て、外の空気を吸うとほっとします・・・・とはいえ、収容所内の空気ですけど。
ここは、毎日の点呼があった広場です。
この点呼は真冬の寒さの中であろうがお構いなく、照明の照らす中、延々と行われていました。 本当はもう少し収容所の中を見たかったのですが時間が迫ってきており、全部は見れませんでした。 この広場を横切り、入ってきた入り口の門のほうへ向かいます。 その横の壁にこういう、各国政府からの追悼碑が取り付けられていました。
ノルウェー政府から
ノルウェー政府はここで1940年から45年の間、 ドイツ軍によるノルウェー占領期間にドイツに対し 勇敢にも抵抗し、ここへそのために送られて命を落とした 約2500人のノルウェー人に その勇気を称え、敬意を表するものであります
オランダ政府より
1940年から1945年の占領期間に 自らの命をかえりみず、我々祖国の自由のために闘い、 ここで命を落としたオランダ人のために 心からの敬意をもって。 彼らは我々の心の中に残るだろう。 (オランダ語訳は無謀にも私がしましたが、多分これであってると思います。)
さて、では出口に向かいます。 運のいいことに私にはこの、『出口』というものがありました。 焼却炉の煙突の前で、『お前たちの出口は唯一ここだ』と皮肉なことが書かれていた張り紙を目にしたことありますが・・・・・・・・・。
帰りの電車の中では、収容所内では無口だったお兄ちゃんが、堰を切ったように一気に喋り始めました。 なぜ、ああいうことをドイツ人はするんだ、あれはいかにもドイツ的だ、ヨーロッパの他の国ではありえない、どういう深層心理がドイツ人の国民性のなかに潜んでいるんだ、ドイツ人の徹底主義が間違った方向に走った、自分もしあの時代に生まれていて、レジスタンスのように命を顧みず反対することが出来ただろうか、などなど。 そのことについていろいろ話あっているうちに電車は最初待ち合わせした駅に着き、私とお兄ちゃんはそこでお別れをしました。
さて、本当に長くなりましたが最初っから最後まで付き合ってくださった皆様、本当に有難うございます。 私はこのナチスについては昔から、いろいろ本を読んでましたので知っていましたが、もしかしてそれをよく知らない方もいらして、その方にとってはショック記事になってしまうのでは?という懸念があったのですが、意外にも、詳しく知りたい、とおっしゃる方が多くてビックリしました。またその御意見に励まされて最後まで書くことが出来ました。 どうも有難うございました。 お礼申し上げます
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Last updated
2009.06.22 02:50:54
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