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テーマ:戦争反対(1190)
カテゴリ:ヨーロッパ旅行・見聞記
こんにちは この間書いてました記事、強制収容所の番外編と称しまして、ドイツ歴史博物館に展示してあった第三帝国に関する当時の新聞等をご紹介いたします。 この歴史博物館、もちろん、ドイツの歴史をゲルマン民族の大移動より前のネアンデルタール人のころの最初っから最後まで、ず~っと順を追って展示してあり、その広さと展示物は膨大な量です。 西洋史の知識が前もってあると、多分もっと楽しいと思いますが、なくっても大丈夫です。(現に私なんかのスッカスカの頭でも十分、楽しめました。)
では、まずこれから。
ヒトラーの前の首相、ヒンデンブルクと一緒に描かれている選挙のポスター ヒンデンブルクはヒトラーを毛嫌いしており、ヒトラーに首相の座を譲りたくなく抵抗してましたが、 結局首相の座を譲ることになりました。 この二人が一緒に描かれてるとは、なんとも皮肉です。
選挙の投票用紙
まだこのころはこんなにたくさん、他の党があったのですね。 もし、この他の番号が選ばれていたら歴史は変わったでしょうに。
ナチスはいろんな職、年代にそれぞれナチスの組織を作りあげました。 ナチス教師連盟というのもあったようです。 その身分証明書
・・・・・怖いです
ヒットラーユーゲント(ヒトラー青年党)の身分証明書
ナチスの制服
以前、イギリスのヘンリー王子がナチスのこの紋章をつけ、 ナチスの服装でパーティに出た、といって大騒ぎになりました。
将校の制服
その後のナチスの云々は皆様もご存知のとおり。 連合国の新聞(アメリカ)が報じる、ヒトラーの死亡
ヒトラーは自殺したのですが、当時の連合国の間で言われてる、 ブラックなジョークがあります
問い)ヒトラーは何故自殺したのか? 答え)ガス代が払えなくなったから
ドイツの降伏を伝えるドイツの新聞
ノーコメント
戦争終結を告げるデイリーミラー紙
ヒトラーは、オーストリア人です。 彼の故郷は、オーバーエスタライヒ州(ドイツの国境あたり)にあり、ドイツからオーストリアのリンツ方面へ高速道路で走っていくと左側にある、ものすごく小さな町です。 もとは画家志望で、ウイーン美術大学の入学試験を受けるも、落第。 もし合格していたら、その後の歴史は変わったのにね。 余談ですが、ドイツで私がドイツ人によく言われることといったら、
日本と一緒に同盟組んでたよね
だったりします このせいか、けっこうドイツ人の日本に対する評価というか信頼は割りといいみたいで(←いいんだか、悪いんだか)。 で、この日独伊三国同盟締結にむけ積極的に働き、松岡洋右外相をバックアップしたのは、時の駐独大使、大島浩です。 彼は戦後、戦犯として逮捕されますが、その理由はこの三国同盟締結の件。 釈放後も一切、語らず、講演なども全て断り無言の生活をしていました。 現代史研究家の高橋氏には、以下のように語ったことがあるそうです。
私が語り書いて、大島個人の主観で歴史家を誤まらせるという、 三国同盟についでまた国民に罪を犯したくない
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Last updated
2009.06.29 21:38:16
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