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テーマ:海外生活(7771)
カテゴリ:ヨーロッパ旅行・見聞記
おはようございます 私が大学生のときに教えてたピアノの生徒のお婆様は、ご自分の昔の話をいろいろレッスンの合間に聞かせてくださいました。 その中には面白い話があったり、悲しい話もあったり、色々でしたが、今日はそのお婆様から聞かせていただいた話の中より、元気の出る(少なくとも私はこの話に勇気をいただきました)お話を書きたいと思います。 以下、ご本人の口調で。
ラジオなど通信機器は全部提出せよ、という命令が下り私の一家も例に漏れず、家の中にあったラジオ等は全部出したの。 ある日見回りの兵士達(チェコ人)が来て家宅捜索を始めたとき、うっかり提出を忘れてた、納屋にあったラジオ、それが見つかってねえ、「一同壁のところへ手を上げて並べ」となったのよ。私は「みんな銃殺されるのかな」って思ったわよ。それならそれで、もう仕方ないかな~なんて思って諦めて、私は冷静に壁のところへ立ったのよね、私そのとき13歳だったわよ。 兵士 「このラジオは一体どうしたことだ」 私 「忘れてたんです」 兵士は銃を突きつけながら 「ところでお前、怖くないのか」 私 「撃つんだったら撃ってくださっていいですから」 兵士 「なんだお前、そんなに冷静で。分かった、お前はヒットラーユーゲントだな!」 な~んて、話になっちゃってねえ。 でも私あのとき本当に、あがいても仕方ないからって開き直ってたのよね。ヒットラーユーゲントなわけないじゃない。 お婆様はドイツ人で、当時のドイツ領チェコに住んでいましたが、もうそこは敗戦濃くなるにつれ殆どドイツというよりチェコに戻っていた地方だったそう。
今度は敗戦直後、私達はドイツ人なので即、チェコ人に捕らえられ私は家族と引き離されて、一人だけ別の牢屋にほうりこまれたのよ。 最初、もうどうなるんだろうって思って大泣きしたけど、泣いたってここから出られるわけじゃなし、ここにいなきゃいけないのは決まったことで変えられない、じゃあ、どうやったら時が早く過ぎていってくれるかな~って考えた結果、 「寝るのが一番」 って思い、泣くのは馬鹿馬鹿しいし、疲れるだけだからやめて、さっさと寝たよ。
当時付き合っていた人の子供を妊娠したのよ。そうしたら彼は、 「俺と結婚したいのだったら、子供をおろせ。 子供をおろさないのだったら結婚しないぞ」って言われたの。(←普通、逆ですよねえ) 私は中絶なんてもちろんしたくなかったから、「赤ちゃんは絶対おろさない」て言ったら、「じゃあ、別れる」 泣いたわよ~、私は。 でもこれもね、泣いてさっぱりしたら、さっさと気持ちを切り替えることにしたよ。 泣いたってどうしようもないんだからね。 今だったら普通に未婚の母はたくさんいるけど、あの戦後の当時はそんなの、白目で世間から見られるだけだったよ。ふしだらな女が身ごもってって感じで。 私はそれは覚悟の上だったけど、アパートの部屋も、未婚の子持ちには貸さない、という大家が多くて本当に困ったよ。 女一人で息子を育てるのはやはり大変なのかと途方にくれてたとき、私に手に職があったのと、運よくカトリックの尼さんの修道院の施設が事情を分かってくれ、私が働いてる間息子の面倒をみててくれることになり、その間一生懸命働いたよ。 でもあの彼ね、その後結婚しちゃって子供も出来てんのよ。まあ、これ聞いたとき、腹が立つやら悔しいやら。 でも過ぎたことだから、とすぐ諦めたけど。 このお婆様の息子さんはその後大学へ進学し、医学の道を進まれ今では某大学付属病院の有名な麻酔科のドクターになられております。
ピアノを教えに行く私が、かえって人生についていろいろ教わってしまいました どっちが生徒なんだか分かりません。 この潔さ、頭の切り替えの早さ、本当に見習いたいものだと、いつも思っていました・・・・で、思うだけでなく自分も実行しようと頑張り中です。 80前になっても一人で自転車携えて2週間のオーストリア旅行に出かけたり、ともかくヴァイタリティにあふれるお婆様でした。 今もお元気であられることを願っております お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.07.15 19:21:42
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