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カテゴリ:歴史その他
なんの本にあったのか忘れたので、違っているかもしれないが(したがって、実話かどうかは確認できない)、革命から間がない内戦中のある日のこと、当時、チェーカーの議長だったジェルジンスキーが会議中のレーニンに、「反革命」 分子として収監している囚人のリストを渡したという。 会議に没頭していたレーニンはメモに目を通したあと、×印のようなものをつけて、ジェルジンスキーに返した。メモを受け取った彼は、そこにある×印を見て、「処刑」 の指示だと思いこみ、リストにあった全員を即刻銃殺した。 ところが、あとで分かった話によると、実はレーニンには、日頃から目を通した書類にたんなる 「確認済み」 の意味で印をつける癖があったという。もっとも、いずれにしてもレーニンの指令で、多くの人間が 「反革命」 の罪により処刑されたことは、紛れもない事実ではある。 チェーカーとはロシア国内の反革命を取り締まる非常委員会のことだが、後にGPUに改組され、その初代長官もジェルジンスキーが務めている。なので、これはその時代のことなのかもしれない。GPUはようするにロシアの秘密警察であり、途中、いろいろと名前は変わっているが、最後は今のロシアの隠れ大統領であるプーチンが、かつて属していたKGBにまでつながっている。 ジェルジンスキーはもともと、ポーランドの貴族出身だそうだ。つまり、リトアニア出身のユダヤ人だったローザ・ルクセンブルグとは、一時は盟友関係にあったのだが、ローザはドイツに移住し、いっぽうジェルジンスキーのほうは、政治犯として収監されていたロシアでそのまま革命に参加し、やがてレーニンの重要な配下のひとりとなっていく。 レーニンがチェーカーの仕事を彼に任せたのには、当然その 「真面目」 で 「高潔」 な人柄に対する信頼もあっただろう。だが、おそらくは彼がロシア人ではなく、おまけに党にとっても新参者であったため、ロシア国内のいろいろな政治勢力をめぐる、複雑な人脈だの関係だのにわずらわされずにすむだろうという計算も、あったのかもしれない。 客観的に見るならば、ジェルジンスキーは党の新参者であるばかりに、「暴力」 の行使という、誰もがいやがる 「汚れ仕事」 を押し付けられたことになる。政治路線については、民族問題やドイツとの講和などで、レーニンと対立したこともあったが、党と革命への忠誠ということでは、ゆるぎなき 「良心」 の持ち主であり、野心や権力欲はもちろん、のちのベリヤのような暴力的な性癖とも無縁の人物であったとされている。 貴族の家に生まれた彼が革命運動に跳びこんだのは、いうまでもなく、抑圧されている貧しい民衆に対する 「愛」 であり、「良心」 によるものだっただろう。そのような彼にとって、いくら 「革命」 のためとはいえ、処刑というような行為が決して心地よかったはずはない。任務を終えたあと、彼はしばしば苦痛にゆがんだ蒼ざめた顔をしていたという。 つまるところ、彼もまた 「正義の人」 であったのであり、革命家としての 「良心」 に基づいた、「テロル」 の行使という任務の裏で、彼個人の良心もまた血を流し、うめき声をあげていたに違いない。そのせいかどうかは分からないが、彼は革命の九年後、レーニンのあとを追うように急死している。 ちなみに、やはりポーランド出身のユダヤ人で、トロツキー派のコミュニストから歴史家へと転じたアイザック・ドイッチャーは、『武力なき預言者』 の中で、「ゲ・ペ・ウにはいって仕事ができるのは、聖者か、でなければならずものだけなのだが、今では聖者は僕から逃げ出してゆき、僕はならずものだけとあとに残されているしまつだ」 という、GPU長官時代の彼の言葉を紹介している。 ところで、ナチス時代のドイツに、少数ながら残されていた、ナチへの協力に抵抗した人々について、やはりユダヤ人であるハンナ・アレントは、それはイデオロギーや思想などの問題ではなく、単に彼らには、友人を裏切ったり見捨てる、といった行為ができなかったのだというようなことを言っている。
言うまでもないことだが、「良心」 はしばしば盲目であり、「善意」 はきわめてだまされやすい。「良心」 の命令には、「~~すべし」 という命令と 「~~すべからず」 という命令の二種類がある。前者が行為を促す積極的命令であるのにくらべ、後者は消極的な禁止命令にすぎない。 だが、消極的であるだけに、間違いをしでかしにくいのは、どちらかといえば後者である。しかし、それはおのれが最後に守るべき拠り所でもあり、その意味では、頑強なる抵抗や反攻のためのもっとも堅固な砦でもある。「いざ決断を迫られたときに信頼することのできた唯一の人々」 という彼女の言葉は、ようするにそういう意味だろう。 この 「できない」 という確信について、アレントは 「良心と呼ぶべきものだとして」 という留保をつけ、義務という性格は帯びていなかったと語っている。たしかにそれは、言語によって規範化された道徳というよりも、むしろ生理的な感覚といったものに近い。
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