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カテゴリ:文学その他

 ギリシア悲劇を読んでいて気付かされるのは、兄弟と姉妹の関係の強さだ。たとえば、アンティゴネ-は国王である叔父の禁令を無視して、死んだ兄ポリュネイケスを命がけで埋葬しようとする。その理由は、彼が自分の兄であるということだけだ。たとえ、その兄が敵国の兵を率いて攻めてきた祖国への反逆者であっても、兄であることに変わりはない。彼女の主張はそういうことだ。

 また、同じソフォクレスの作である 「エレクトラ」 では、エレクトラは父親(トロイ戦争でのギリシア軍の総大将アガメムノン)が母とその情夫に殺されたとき、幼かった弟のオレステネスを逃がし、以来父親の仇をうつため、憎い母とその情夫のもとで弟の帰還を何年も待ち続ける。

 この劇と 「ハムレット」 との類似性はよく指摘されるが、オレステスが自分が死んだうわさを流させて、それを信じ込んだエレクトラが悲しむところには 「ロミオとジュリエット」 を思わせるところもある。まあ、とにかく最後には、帰還した弟と力を合わせて父親の仇(母親とその情夫)をうつことで劇は終わる。

 こういう兄弟と姉妹の関係の強さは、古代の日本にもあったのだろう。天照と須佐乃男は姉と弟だし、「魏志倭人伝」 によれば邪馬台国は女王卑弥呼とその弟によって統治されていたという。また、古事記にはサホヒコとサホヒメの話がある。

 兄のサホヒコから 「お前は夫である天皇と兄である自分と、どっちを愛しているか」 と問われた妹のサホヒメは、「兄ちゃんのほうを愛してる」 と答える。それで、兄は妹に小刀を渡して夫の天皇を刺すよう命じるのだが、いざとなるとやっぱり夫である天皇もいとしくて刺せない。結局天皇にすべてを話すのだが、最後にはサホヒメは夫より兄の方を選んで兄のところに逃げ、攻めてきた軍勢に、天皇との間に生まれた子供だけを渡して、兄と一緒に死んでしまう (こういう話、嶽本野ばらなんかに書かせると、面白そう)。

 ついでに言うと、柳田国男には 『妹の力』 という著書があるし、森鴎外が小説にした 「山椒太夫」 の安寿と厨子王も姉弟だ。折口信夫とかを読んだら、こういう話はまだまだいっぱい出てくるだろう。

 昔、歴史学者の石母田正とかが、日本の歴史における 「英雄時代」 なんてものを提唱したことがあったが、古代ギリシアと古代の日本にはいろんな点で類似している。多神教であることはいうまでもないが、死んでしまえば国家への忠誠者と反逆者の区別などない、どっちも同じ自分の兄だというアンティゴネ-の主張には、A級戦犯の靖国合祀を合理化する人たちが持ち出す、「死ねばみんな神様になる」 という日本古来の神道の思想とやらを思い出させるところがある。

 もちろん、だからといって、古代の日本はギリシアの植民地だったなんていうトンデモ学説を主張したいわけではない。たぶん、こういう類似はたとえばネイティブアメリカンなんかとの間にもあると思う。要するに、原始=古代社会というものはどこも同じようなものだということだ。

 「歴史法則」 などというと、顔をしかめる人もいるかもしれない。昔のように 「五段階発展説」 みたいなドグマを振り回して、どこの民族の歴史も、アジア的ー古代奴隷制ー中世封建制ー近代資本制 という同じ段階をたどり、最後には 「鉄の必然性」 でもって社会主義に到達するのだみたいな話は、もちろんでたらめだ。

 しかし、歴史の法則性をすべて否定するのも行き過ぎというものだろう。経験的な学問では、どんな法則も先験的に成立するわけではない。「歴史は科学だ」 と肩肘張って主張する気もないが、ドグマ化せずに 「導きの糸」 として利用すればいいんのではあるまいか。






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Last updated  2010.03.05 04:39:00
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