1464273 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

遠方からの手紙

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Favorite Blog

電動アシスト自転車… New! alex99さん

世論調査の限界? New! 七詩さん

怒りも当然だろうな New! FAM5220さん

40年以上前に見てい… AZURE702さん

立花孝志という男 まろ0301さん

翻訳立国トラドキス… 人口500万人の国さん
真理を求めて 秀0430さん

Comments

effelpist@ kilovermek.es effelpist &lt;a href=&quot; <small> <a href="http…
クロワッサン@ Re:物言えば 唇寒し 秋の空(10/08) 空ではなくて風なのでは??
夢野久作孫@ Re:玄洋社とカレーの関係(04/07) ‪本来の玄洋社は国権派ではありません。戦…
http://cialisvipsale.com/@ Re:あなたが思っているほど、人はあなたのことなど気にかけちゃいない(09/17) bijsluiter cialis 10mgpredaj viagra kam…
小林先生@ Re:恐妻家と愛妻家のはざまで(07/18) 失礼ながらよくまとまっているせいか たい…
akkun @ Re:岡崎次郎はどこへ消えたのか(10/01) 向坂逸郎(?)って悪いヤツだ! そういう欲…
大津 真作@ Re:岡崎次郎はどこへ消えたのか(10/01) 実は岡崎次郎さんには、岡崎三郎さんとい…

Freepage List

Category

Archives

2024.11
2024.10
2024.09
2024.08
2024.07
2024.06
2024.05
2024.04
2024.03
2024.02
2007.01.23
XML
カテゴリ:文学その他
 つまり、私たちの先輩という者は、私たちが先輩をいたわり、かつ理解しようと一生懸命に努めているその半分いや四分の一でも、後輩の苦しさについて考えてみたことがあるだろうか、ということを私は抗議したいのである。

 この頃、つくづくあきれているのであるが、所謂 「老大家」 たちが、国語の乱脈をなげいているらしい。キザである。いい気なものだ。国語の乱脈は、国の乱脈から始まっているのに目をふさいでいる。あの人たちは、大戦中でも、私たちの、何の頼りにもならなかった。私は、あの時、あの人たちの正体を見た、と思った。

 あやまればいいのに、すみませんとあやまればいいのに。もとの姿のままで死ぬまで同じところに居据ろうとしている。


 これは、太宰治が戦後に 「小説の神様」 志賀直哉を相手取って書いた、激烈な批判「如是我聞」の一節です。太宰は、本当は楽しくて面白い 「うそ話」 を書く才能を持っていた人のように思います。 さて、次はなんでしょうか。

 日本の敗れたるはよし
 農地の改革せられたるはよし
 社会主義的改革も行わるるがよし
 わが祖国は敗れたれば
 敗れたる負い目を悉く肩に荷うはよし
 わが国民はよく負荷に耐え
 試練をくぐりてなお力あり
 屈辱を嘗めしはよし
 抗すべからざる要求を潔く受け容れしはよし
 されど,ただ一つ,ただ一つ
 いかなる強制,いかなる弾圧
 いかなる死の脅迫ありとも
 陛下は人間なりと仰せらるべからざりし

 (中略)

 などてすめろぎは人となりたまいし。
 などてすめろぎは人となりたまいし。
 などてすめろぎは人となりたまいし。

 これも激烈ですね。言うまでもなく、これは三島由紀夫が神がかり状態で一晩で書き上げたという 「英霊の声」 の一節です。

 三島由紀夫についてはあまりいい読者ではありません。いいと思ったのは 「仮面の告白」 と 「金閣寺」、それに 「豊饒の海」 四部作のうち 「春の海」 と 「奔馬」 くらいです。

 三島は作品では自分をあまり語らなかった人ですが、私はどちらかというと作品よりもこの人自身に興味があります。たしか三島の葬儀で、武田泰淳が 「もう頑張らなくていいんだよ」 みたいなことを言っていたような。

 彼は若くして文壇に登場したことでよく天才の代表のように言われますが、実はつねに勉強と努力を怠らなかった刻苦奮闘型の人ですね。小説を書くときも、一日何時間かけて何枚書くかをノルマにしていたという律儀な人だったそうで。その意志の強さは、病弱でひょろひょろしていた体を、ボディービルやボクシング、剣道で筋肉隆々に鍛え上げたことにも現れています (こんなことは、私のような意志薄弱で安きに流れがちな人間にはとても真似できません)。

 小説を書くとき、彼は最後の結末の文章まできちんと考えてから書き始めたそうです。彼の小説には、たいていなにか作り物めいたところがあって、「憂国」 や 「英霊の声」 のような作品は別にしても、そこが今ひとつ好きになれなかった理由でしょうか。

 深沢七郎や野坂昭如を発掘したのも彼で、その点には自分と正反対の人でも認める鑑賞力の高さを感じますが、自分とは違って刻苦奮闘のあとなど微塵も感じさせず、しかも破天荒で野放図な小説を書けるそのような人こそが本当の天才だと、彼はたぶん内心羨みながら思っていたのだろうと思います。

 太宰も三島も、自分の才能と時代との間にずれがあったところに 「悲劇」 が生まれたような気がします。

 さて、ここで浮かんだのが 「批判とはねじれた愛の表現である」 という命題であります。

 ことわざにもありますね。「可愛さあまって憎さ百倍」 と。 ただし、これは必ずしも一般化はできませんが。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2008.04.11 12:43:55
コメント(5) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.
X