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カテゴリ:文学その他
つまり、私たちの先輩という者は、私たちが先輩をいたわり、かつ理解しようと一生懸命に努めているその半分いや四分の一でも、後輩の苦しさについて考えてみたことがあるだろうか、ということを私は抗議したいのである。 これは、太宰治が戦後に 「小説の神様」 志賀直哉を相手取って書いた、激烈な批判「如是我聞」の一節です。太宰は、本当は楽しくて面白い 「うそ話」 を書く才能を持っていた人のように思います。 さて、次はなんでしょうか。 日本の敗れたるはよし これも激烈ですね。言うまでもなく、これは三島由紀夫が神がかり状態で一晩で書き上げたという 「英霊の声」 の一節です。 三島は作品では自分をあまり語らなかった人ですが、私はどちらかというと作品よりもこの人自身に興味があります。たしか三島の葬儀で、武田泰淳が 「もう頑張らなくていいんだよ」 みたいなことを言っていたような。 彼は若くして文壇に登場したことでよく天才の代表のように言われますが、実はつねに勉強と努力を怠らなかった刻苦奮闘型の人ですね。小説を書くときも、一日何時間かけて何枚書くかをノルマにしていたという律儀な人だったそうで。その意志の強さは、病弱でひょろひょろしていた体を、ボディービルやボクシング、剣道で筋肉隆々に鍛え上げたことにも現れています (こんなことは、私のような意志薄弱で安きに流れがちな人間にはとても真似できません)。 小説を書くとき、彼は最後の結末の文章まできちんと考えてから書き始めたそうです。彼の小説には、たいていなにか作り物めいたところがあって、「憂国」 や 「英霊の声」 のような作品は別にしても、そこが今ひとつ好きになれなかった理由でしょうか。 深沢七郎や野坂昭如を発掘したのも彼で、その点には自分と正反対の人でも認める鑑賞力の高さを感じますが、自分とは違って刻苦奮闘のあとなど微塵も感じさせず、しかも破天荒で野放図な小説を書けるそのような人こそが本当の天才だと、彼はたぶん内心羨みながら思っていたのだろうと思います。 太宰も三島も、自分の才能と時代との間にずれがあったところに 「悲劇」 が生まれたような気がします。 さて、ここで浮かんだのが 「批判とはねじれた愛の表現である」 という命題であります。 ことわざにもありますね。「可愛さあまって憎さ百倍」 と。 ただし、これは必ずしも一般化はできませんが。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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