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 市民革命とは市民が権力を握る革命のことである。
 
 この定義に異を唱えるような歴史学者や政治学者は、たぶん一人もいないだろう。しかし、おうおうにして社会科学において誰も異を唱えない 「定義」 とは、単なる同語反復に過ぎないか、あるいはそれに近いことが多い。

 この場合もそうである。問題はこの先、すなわちある階級(この場合は 「市民」 ということになるが)が権力を握るということはどういうことなのか、ということまで深化されなければなにも意味を持たないのだ。

 いわゆる明治維新の範囲を 「王政復古」 と 「大政奉還」 からどこまでとるかについてもいろいろな議論があるが、ここでは明治20年代の 「憲法制定」 と 「議会開設」 までということにしよう。

 初期の議会において、自由党などの政党と政府が 「予算」 をめぐって激しく対立したことは事実である。しかし、近代国家においては、現代の日本のように、議会がたとえ形式上は国家の 「最高機関」 である場合ですら、実際には、立法権=議会よりも執行権を握る政府のほうが優位にある。
 
 ましてや、明治国家においては議会はただ単に予算の否決などによって政府を掣肘しうるのみであって、みずから政府を掌握する力は持っていなかった。のちになると 「東洋のビスマルク」 と自称し、先見の明を持った伊藤博文が自由党の残党を吸収して 「政友会」 を組織し、政党出身者にも権力への一定の参加が許されるようにはなった。

 さらに大正に入ると、確かに 「政党政治」 が確立されたかに見えたが、これは一時的な慣行に過ぎず、とうてい制度的に確立したものではなかった。(慣習として確立する前に、ひっくり返ってしまったわけだ。その根拠はもちろん 「統帥権の独立」 という明治憲法の特殊な規定にあったのだが)それに、いずれにしても、このへんはすでに一般に言われる明治維新の範囲を超えた話であろう。

 明治国家においては、政府の首班である総理大臣の任命権も、陸軍・海軍を統制する軍事的な統帥権も、「天皇大権」 として、形式的には 「神聖にして犯すべから」 ざる 「万世一系」 の天皇の手にあり、実質的には天皇周辺の薩長出身の元老や側近の手に握られていた。

 むろん、ヨーロッパにおいても、市民革命によってすぐに今日のような議会体制が成立したわけではない。また普通選挙制が認められたのは、ずっと後のことになる。だが、そもそも 「革命」 とは危機の時代のことであって、そこで一時的に専制的な独裁権力が成立するのは理の必然である。

 しかし、戦前の日本の場合の国家の専制的性格は明治憲法によって最終的に確定し、昭和の敗戦まで持ち越されたものであって、フランス革命とその後の動乱期において成立した、ナポレオンに代表されるような革命的独裁とは性格が違う。だから、そのような類推でもって 「明治維新の結果として市民が権力を握った」 などという主張は、とうてい成立しないだろう。

 小林良彰という人がその本の中で市民が権力を握ったことの証拠としてあげている、いわゆる 「財政問題」 は、国家をめぐる問題のひとつに過ぎない。たとえば 「資本制国家」 においても、全国的に組織された強力な労働組合が存在し議会でもそれなりの勢力を有している場合には、政府もその主張をある程度容認し受けれざるを得ない。

 しかし、ならばその場合に、「権力は労働者の手にある」 と言えるだろうか。また、彼が再三指摘しているフランス革命や明治維新によって成立した 「土地所有」 の問題も、確かに一定の政治性を帯びているとはいえ基本的には 「経済問題」 の範疇に属することであって、国家権力の性格を直接左右する 「政治問題」 ではない。

 確かに、フランス革命のきっかけは、王政による 「財政破綻」 のつけを押し付けられようとしたことに対する市民の反発にある。幕末において幕府や諸藩が同じような破綻に瀕していたことは事実だが、しかし、そのことに対する民衆の反発が明治維新のきっかけになったわけではない。「財政問題」 だけで権力の性格を論じることはできない。

 政治は経済に解消されないのだから、「だれが権力を握っているのか」 という問題は、政治権力そのものの人的組織的な構成はもちろん、具体的な政治過程に即して考察されなければならないだろう。

 明治維新には、「近代性」 と 「前近代性」 の並存という、先進国からの外圧にさらされた後発国特有のねじれた性格が存在する。だから、その一面に市民革命と類似した性格を認めることは必ずしも不可能ではない。だが、全体として見るならば、とうてい「市民革命」ということはできないだろう。

 しかし、こういう矛盾は現実に存在する矛盾なのであって、この問題を末梢的なこととして捨象してしまうならば、結局は明治維新そのものの固有の性格も見失われてしまうだろう。歴史に関する理論とは単なるつじつまあわせではない。そのような矛盾に満ちた特殊性を解明することこそが、理論に求められるのであり、そうでなければ理論としての存在意義もないだろう。

 ある個人をそのような具体的な個人としているものは、単なる人間一般としての共通性ではなく、「個性」 と呼ばれるその個人の特殊性なのである。






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Last updated  2009.05.16 23:56:19
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