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カテゴリ:文学その他
1929年、雑誌『改造』の懸賞論文で二席に入賞した、小林秀雄の『様々なる意匠』からの引用です。今で言えば、『群像』の新人賞みたいなものでしょうか。
およそあらゆる観念学(注:イデオロギーのこと)は人間の意識に決してその基礎を置くものではない。マルクスが言ったように、『意識とは意識された存在以外の何物でもありえない』のである。ある人の観念学はつねにその人の全存在にかかっている。その人の宿命にかかっている。怠惰も人間のある種の権利だから、ある小説家が観念学に無関心でいることはなんら差し支えない。しかし、観念学を支持するものは、つねに理論ではなく人間の生活の意力である限り、それは一つの現実である。ある現実に無関心でいることは許されるが、現実を嘲笑することは誰にも許されてはいない。 もし、すぐれたプロレタリア作者の作品にあるプロレタリアの観念学が、人を動かすとすれば、それはあらゆる優れた作品が持つ観念学と同様に、作品と絶対関係においてあるからだ、作者の血液によって染色されているからだ。もしもこの血液を洗い去ったものに動かされるものがあるとすれば、それは『粉飾した心のみが粉飾に動かされる』という自然の狡猾な理法によるのである。 (中略) 世のマルクス主義文芸批評家は、こんな事実、こんな論理を、最も単純なものとして笑うかもしれない。しかし、諸君の脳中においてマルクス観念学なるものは、理論に貫かれた実践でもなく、実践に貫かれた理論でもなくなっているではないか。まさに商品の一形態となって商品の魔術をふるっているではないか。商品は世を支配するとマルクス主義は語る。だが、このマルクス主義が一意匠として人間の脳中を横行するとき、それは立派な商品である。そして、この変貌は、人に商品は世を支配するという平凡な事実を忘れさせる力をもつものである。 これを読むと、この人がいかに時代よりも進んだ、『見えすぎる目』を持っていたかがよく分かります。実際、この当時には多くの知識人や文化人がいっせいにマルクス主義にとびつき、「左翼」は一種の流行思想であるかのような趣を見せています。そして、その後の弾圧の強化の中で、今度は「転向者」が続出するということになります。もっとも、中野重治のように「転向」しながらも節操を守り続けた人もいますから、単純に「転向」か「非転向」かという事実だけで、この時期の知識人たちを評価することはできませんが。 舶来の新しい思想や理論に、自分でよく考えもせずにすぐに飛びつきありがたがるという癖は、今も昔もあまり変わってないものだとつくづく感じさせられます。 ちなみに、このときに小林をおさえて一席に入賞したのは、芥川龍之介を論じた宮本顕治の『「敗北」の文学』です。 同時代の評価というものは難しいもので、たとえば第一回芥川賞(1935年)では、選考委員の佐藤春夫などに手紙まで送って「欲しい、欲しい」と懇願した太宰治のかわりに、石川達三が受賞しています。賞をもらえなかった太宰は、さぞや落胆したことでしょう。(そういえば、村上春樹も島田雅彦も芥川賞に落ちてますね) 石川達三は太宰よりもはるかに長生きしたので、生前には結構読まれていた「流行作家」でしたが、今ではほとんど読まれなくなっているようで、すっかり姿を消してしまいました。もちろん、かりに太宰が長生きしたとしても、どれだけの作品を残しえたかはまた別の問題ですけど。 理論と実践とは弁証法的統一のもとにある、とは学者の寝言で、もともと理論と実践とは同じものだ。マルクスは理論と実践とが弁証法的統一のもとにあるなどとは説きはしない、その統一を生きたのだ。マルクスのもった理論は真実な大人のもった理論である。 小林秀雄 『マルクスの悟達』 より たぶん続きます お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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