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カテゴリ:明治維新・アジア主義
いささか、くどいようではあるが、乗りかかった舟なので
ということで、宮台真司の 「解説:宮崎学『近代の奈落』~ 亜細亜的相互扶助の可能性を論じる ~」 という書評から ■敗戦後、日本共産党の運動が激化したとき、共産党が広めたのが「民族」という言葉だ。同時代の水平社運動を見ると、松本冶一郎をはじめとする先達たちも 「民族」 という言葉を使っている。大和民族のことではない。意外にも部落民のことを 「民族」 と呼んでいた。 これも、宮台ファンには申し訳ないが、間違いだらけである。 戦後の日本共産党の運動で 「民族」 という言葉が重要視されるようになったのは、日米安保条約と米軍基地の存在が象徴するように、戦後日本がアメリカに対する政治的軍事的な従属下にあり、したがって労働者を主体とする社会主義革命の前に、アメリカからの完全な独立を目指す 「民族解放闘争」 が必要だとする、いわゆる 「二段階革命戦略」と、それに基づく 「反米愛国」 路線があったからであり、それ以上の話ではない。 そもそも、宮台が言うような 「階級概念にとってノイジーな要素に注目しつつ階級概念に吸収しようとする左翼の概念」 というならば、「中華人民共和国」 とか 「人民民主主義」 とかいった言葉で使われたような 「人民」 という概念こそ、そうというべきだろう。これは弁解のしようもない完全な間違いである。 なお、「同時代の水平社運動」 といっているが、水平社は太平洋戦争中の1942年に自然解散している。戦後は、1946年に部落解放全国委員会が再建され、その後現在の部落解放同盟に名称を変えているのだから、これもおかしな話である。好意的に解釈すれば、戦前の水平社と戦後の部落解放同盟を同一視しただけなのかもしれないが、それはちょっとあまりに乱暴な話だろう。 松本冶一郎の話も出ているが、玄洋社は1946年に強制的に解散させられているのだから、1948年のカニの横ばい事件で玄洋社が彼をかばったなどという話もありえないことだ。 いずれにしても、宮台氏、もう少し歴史のお勉強をちゃんとやったほうがいいようである。 こんなこ書いてる暇があったら、仕事しなくちゃ ということで、おしまい お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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