ようやく雨が降るようになったが、なかなかうまくはいかないもので、ときには望んだ以上の雨が、いきなりどしゃどしゃと降ったりする。九州は列島の一番西に位置しているので、どうしたって大量の水滴を含んだ雨雲が偏西風に乗って一番最初にやってくる。これは、まあどうしようもない。
風が吹くと桶屋が儲かると言われるが、雨が降ると誰が儲かるのだろう。やっぱり、畳屋さんか、それとも土建屋さんかな。
それはともかく、先日はちょっと調子にのってシュミットなど引用してしまった。この人が一部でいささか注目を集めていたのもずいぶん昔のことになる。
この人がいかに怪物じみているかというと、なにしろ生まれたのが1888年で亡くなったのが1985年なのである。というわけで、まさに存在そのものにおいて立派な怪物的人物というわけなのである。
シュミットの政治理論というと、「政治的な行動や動機の基因と考えられる、特殊政治的な区別とは、友と敵という区別である」(政治的なものの概念) という言葉で表現された 「友・敵」 理論が有名だが、たとえば 『政治神学』 (1922)という著書は、冒頭からいきなり 「主権者とは、例外状況にかんして決定をくだす者をいう」 という断定的命題から始まる。
こういうところを見ると、カール・シュミットという人には、学者とか理論家、思想家という肩書よりも、二つの大戦に挟まれたワイマール時代のドイツという特殊な時代が生んだアジテータという言葉のほうがふさわしいようだ。実際、彼の有名な著書の多くは、重厚な学術書というよりも薄い政治的パンフレットといった体裁に近い。
ようするに、スターリニズムとファシズムという、20世紀に起きた特殊な二つの 「国家」と「政治」によって表現された、権力現象の魔力に引き付けられた人といえばいいだろうか。そこには、もちろん一面の真理はある。しかし、シュミット自身、ナチに加担することによって、その真理がはらむ危険な毒に呑み込まれてしまったというべきだろう。
産業化された国民大衆は、こんにちなお、不明瞭な技術性の宗教を信奉している。それは、大衆がつねにそうであるように、彼らが根源的な帰結を求め、ここにこそ、数世紀にわたって追求した絶対的な非政治化、すなわち戦争がなくなり、普遍的平和がはじまる絶対的非政治化をついにみいだしたと、無意識のうちに信じているからである。
しかしながら、技術は、あくまでも、平和もしくは戦争を高進させることしかなしえない。技術は戦争と平和とを、同様に迎えいれるのであって、平和の名目、平和の誓いは、この事態をいささかも変えるものではない。われわれはこんにち、大衆暗示という心理的技術的機構の作用する名目や用語の煙幕を、見抜いてしまうのである。
われわれはこの用語法の秘密の法則をさえ知っており、こんにちでは、どのような恐ろしい戦争をもただ平和の名においてのみ、どのような恐ろしい抑圧をもただ自由の名においてのみ、またどのような恐ろしい非人道をもただ人道の名においてのみ実行されることを、知っている。
『中性化と非政治化の時代』(未来社刊 『合法性と正当性』 所収)
これは、彼がナチスに積極的にコミットするようになる前の1929年の言葉、つまり今から80年も前の言葉である。いうまでもないことだが、アウシュビッツ収容所も原爆もまだ存在さえしていなかった時期のことである。
こんな言葉を聞かされると、ヨーロッパというのはつくづく恐ろしい地域なのだなと思わされる。反動的アジテータといっても、現代日本の渡部某とか八木某とかいうような、お勉強が得意なだけの秀才あがりの凡庸なアジテータとは全然レベルが違うのだ。
実際、イジメは正義感から起こるなんて陳腐な言葉が、いまごろになってさも新しい発見であるかのように語られるようじゃ、日本はどうしようもなく遅れていると思わざるを得ない。政治家のレベルが低いのも、まあしょうがないか (といってすまされる問題でもないけれど)。
まことに、日本とヨーロッパとでは、背負っている歴史の重みと厚みが違うというべきだろうか。
追記:
選挙が始まって、首相はあちこちのテレビに出まくっているのだけれど、この人の顔にも言葉にも、精神的な幼児っぽさがまるでオーラのようににじみ出ている。
自民党の皆さん、ほんとうに選挙に勝ちたいのなら、首相はなるだけテレビに出さないほうがいいのじゃないのと思うのだが。