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カテゴリ:文学その他

 何年か前に、井上荒野という名前を書店で見つけたときは本当に驚いた。その名前には、ずいぶん昔から覚えがあったからだ。言うまでもなく、井上荒野は10年ほど前にガンで亡くなった作家、井上光晴の長女である。

 講談社文庫で出ていた 『階級』 という井上光晴の小説の巻末には、著者自筆の年表が収められているが、これには、昭和36年2月、長女荒野 (あれの) 誕生、と書いてある。世の中には同姓同名の人はいっぱいいるが、井上荒野などという名前の人がそうそういるはずはない。それでぴんときたのである。

 その後の二人からはほとんど信じられないことだが、40年ほど昔、講談社から大江健三郎と江藤淳の二人が編集した、「われらの文学」 という戦後作家だけを収めた、真白い装丁の叢書が出ていた。高校時代にはずいぶんお世話になったのであるが、その第20巻に井上光晴の作品が収録されていた。

 地の群れ/虚構のクレーン/死者の時/ガダルカナル戦詩集 という、当時の井上の代表作が収められていて、たしか高一の夏休み、『高橋和巳・柴田翔・倉橋由美子』 の巻と合わせて学校の図書館から借り出して、家族と一緒に母親の実家へ帰省する列車の中で読み始めたのだが、またたくまに彼の小説の世界へ引きずり込まれてしまった。

 井上の文学は、それまでの戦争文学のように、戦地の悲惨さや軍隊生活の不条理を描いたのではない。作者の言葉を借りれば、戦争中 「皇国少年」 であったという世代の重苦しさがそのまま形象化された作品に触れたことは、それまでにない衝撃的な体験で、寝台列車の一番上の段で震えながら読みふけってしまった記憶がある。今になって思えば、いささか彼の毒気にあてられたということなのかもしれないが。

 もっとも彼が年譜に記載していた履歴は、長女の井上荒野が書いた 『ひどい感じ 父・井上光晴』 によれば、ずいぶんと虚構が混じっていたそうで、これにもまた驚かされた。『さよなら CP』 や 『ゆきゆきて神軍』 を撮った原一男が、死の直前の井上の姿を 『全身小説家』 という映画にまとめているそうだが (見てません)、まさに全身虚構まみれの人であり、「嘘つきみっちゃん」 という少年時代のあだ名そのままである。

 いずれにしても、自分の娘に荒野だの切刃 (きりは) だのという名前をつけるとは、それだけでとんでもない人だ。松本健一によると、共産党時代の友人であった谷川雁が、井上光晴の葬儀で 「お前もおれもイカサマ師じゃないか」 と言ったそうだが、まさに至言であり、九州人の面目躍如といったところである。

 荒野は光晴について、「父の意識の中では終生革命家であったのかもしれない」 と書いているが、彼にとっては、すべてが 「革命家」 としてのプロパガンダとアジテーションのための道具であったということだろうか。一頃、井上の影響で 「原体験」 なる言葉がはやったことがあるが、そういった言葉の裏で、彼は実はあれは全部嘘なんだよと舌を出していたのかもしれない。

 柄谷行人がどこかで、自分が中上健次にフォークナーを読むように勧めたというようなことを書いていたが、南部の歴史を虚構の土地と一族を中心にすえて描いたフォークナーの手法を研究して、自己の作品に取り入れたのは井上のほうが先である。中上の初期作品が大江の影響を受けているのは周知の事実だが、『鳩どもの家』 のような作品から 『岬』 や 『枯木灘』 へと向かうところには、井上の影響があったのではないかとも思う。

 『ガダルカナル戦詩集』 というのは、もともとは戦争中に吉田嘉七という人が発表した戦争詩集である。井上の 『ガダルカナル戦詩集』 には、戦時下の焦燥感と不安のなかで、読書会を開いてこの詩集を読む青年や、転向者とおぼしき教師の姿などが描かれている。


埋葬   - 熱病にて倒れし戦友に -

太陽は青ざめ
焼け残ったジャングルの
ただれたボサからは
まだ煙がよろめいている。

この荒涼たる黄昏に
紙のように皮膚をかわかして
病葉 (わくらば) の散るとともに
死を選んでいった君の生命
すべてを捧げきって
肉ことごとく枯れたる腕よ
かっきと見開いて
暮色をうけとめている眼差しよ

ああ、その飢えた手につかんだ
激しいものは何だ
その瞳に確信して
叫んでいるものは何だ

熱病というべくあまりに熱い
悲願の中に身を埋めた友よ
この憤りに満ちた風景の中で
君の血こそは静かに赤かったのだが

井上光晴 『ガダルカナル戦詩集』 より重引






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Last updated  2007.08.14 04:00:29
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