まろさんが書かれていた小泉八雲の 『怪談』 の話を読んでいて、ふと夏目漱石のことが頭に浮かんだ。この二人には微妙な関係があって、熊本の第五高等学校でも、東京の第一高等学校でも、なぜか八雲を追い出すようにして、八雲のすぐあとに英語教師として漱石が着任している。
八雲の 『怪談』 が出版されたのは1904年だそうだが、漱石の 『夢十夜』 が朝日新聞に連載されたのは1908年ということだ。時代的に言えば、ちょうど日露戦争の前後であり、ロシアという大国との戦争によって社会の中に緊張が強まり、また八幡製鉄所の操業開始に象徴されるような、国内の重工業建設が軌道に乗り始め、堺利彦や幸徳秋水らによる社会主義運動というものが登場してきた時期でもある。
漱石の 『夢十夜』 は、一話から五話までは 「こんな夢を見た」 という書き出しで始まっていて、夢をひとつずつ語るという体裁になっているが、どれも一種の怪談話として読むことができる。たとえば、次のような話。
第三夜
こんな夢を見た。
六つになる子供を負ってる。たしかに自分の子である。ただ不思議な事にはいつの間にか眼が潰れて、青坊主になっている。自分が御前の眼はいつ潰れたのかいと聞くと、なに昔からさと答えた。声は子供の声に相違ないが、言葉つきはまるで大人である。しかも対等だ。
左右は青田である。路は細い。鷺の影が時々闇に差す。
「田圃へかかったね」と背中で云った。
「どうして解る」と顔を後ろへ振り向けるようにして聞いたら、
「だって鷺が鳴くじゃないか」と答えた。すると鷺がはたして二声ほど鳴いた。自分は我子ながら少し怖くなった。こんなものを背負っていては、この先どうなるか分らない。どこか打遣ゃる所はなかろうかと向うを見ると闇の中に大きな森が見えた。あすこならばと考え出す途端に、背中で、
「ふふん」と云う声がした。
「何を笑うんだ」
子供は返事をしなかった。ただ
「御父さん、重いかい」と聞いた。
「重かあない」と答えると
「今に重くなるよ」と云った。