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カテゴリ:文学その他
三月は仕事の依頼が少なかった。フリーで仕事をしていると、あちこちからの依頼がかちあっていくつか断らざるを得ないときもあれば、まるで申し合わせでもしたように、どこからも依頼が来なくなるときもある。困ったものである。 安吾の 「桜の森の満開の下」 は、むくつけき山賊と彼がかどわかした美女の物語である。調べてみると、30年ほど前に篠田正浩が監督し、若山富三郎と岩下志麻のコンビで映画化されていたそうだ。これは知らなかった。残念ながら、近所のレンタル屋さんで見かけた覚えはない。この山賊には、若い頃のむさくるしい三船敏郎がぴったりだと思っていた。 安吾の 「桜の森の満開の下」 は、こんなふうに始まっている。 桜の花が咲くと人々は酒をぶらさげたり団子をたべて花の下を歩いて絶景だの春ランマンだのと浮かれて陽気になりますが、これは嘘です。なぜ嘘かと申しますと、桜の花の下へ人がより集って酔っ払ってゲロを吐いて喧嘩して、これは江戸時代からの話で、大昔は桜の花の下は怖しいと思っても、絶景だなどとは誰も思いませんでした。近頃は桜の花の下といえば人間がより集って酒をのんで喧嘩していますから陽気でにぎやかだと思いこんでいますが、桜の花の下から人間を取り去ると怖ろしい景色になりますので、能にも、さる母親が愛児を人さらいにさらわれて子供を探して発狂して桜の花の満開の林の下へ来かかり見渡す花びらの陰に子供の幻を描いて狂い死して花びらに埋まってしまう (このところ小生の蛇足) という話もあり、桜の林の花の下に人の姿がなければ怖しいばかりです。
とうとう最後に男はもといた山が恋しくなり、女を連れて帰ろうとするのだが、その途中、峠の満開の桜の森の下を通ったときに、背負っている女が鬼であることにやっと気付くのだ。
桜というと今の主流は、むろんソメイヨシノである。これはエドヒガンとオオシマザクラの交配種だそうで、なんでも江戸時代に染井村にいた植木職人たちの手で作られたのが始まりなのだそうだ。葉を出す前に大量の花をいっせいに咲かす性質が好まれて、江戸末期から明治にかけて全国に広まったのだそうだ。 素人の推測であるが、葉が全然ないということは、植物にとっての大事な活動である光合成をほとんどやっていないということだろう。その状態のままで、いっせいに花を咲かすということは、桜にとって結構体力 (樹力?) を消耗することではないのだろうか。 それは、なんとなく、貧乏人がなけなしの貯金をはたいて精一杯の大判振舞いをするところに似ていて、いかにもけなげなのである。 そういえば、今日から40歳以上の健康保険加入者に対するメタボ検診が義務化されたのであった。なになに、男性は腹囲85cm以上だと。立派に基準をクリアしているではないか。これは、さっそく検診を受けに行かねばなるまい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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