|
カテゴリ:文学その他
先日、近所のビデオレンタル店で、放出されていた 「南京の基督」 というビデオを買った。原作は芥川龍之介であるが、監督はトニー・オウという香港出身の人、日中合作ということらしいが、主演は富田靖子である。 芥川がもともとこの小品の中でいちばん言いたかったのは、たぶん最後のほうにある次のような箇所だろう。
「さうかい。それは不思議だな。だが、――だがお前は、その後一度も煩はないかい。」 「ええ、一度も。」
そのような社会の状態が変革されれば、少なくともその限りでは宗教の役割は終わるだろう。しかし、具体的な治療法も存在せず、またはたとえ存在したとしてもその利用が現実的には不可能だというのに、苦しむ病人からただ鎮痛薬としてのアヘンのみを取り上げるというのは単なるサディストの行いにすぎない。マルクスが主張したことは、そんなことではない。 ちなみに、魯迅は 「私はひとをだましたい」(岩波文庫の 「魯迅評論集」 所収)という小文の中で、「私は人々の失望する有様を見ることをすかない。もしわが八十歳の母上が、天国はあるかと問われたら、私は躊躇することなくあると答えるだろう」 と書いている。 最近は、このレンタル店ではDVDが主流になっていて、古いビデオは次々と安値で放出されている。ほかにも 「悲情城市」 などのアジア映画も100円で買ったのだが、ビデオデッキも昔のレコードプレーヤと同じように、すでに各社で生産が停止されているらしい。そうなると今のデッキが壊れてしまうと、わが家のビデオも30年前からの死蔵LPなどと同じ運命をたどることになる。 たしかに、過去の映画でもそれなりに名のある作品などはDVD化が進んでいるが、むろんすべてのビデオがDVD化されるわけではない。多くの買い手がつく見込みのない作品は、たとえどんなに優れていても当然のことながら放置されるだろう。 そういうわけで、とりあえず今のうちにいくつか買い込んでおき、よく見て記憶にとどめておかねばならない。なにしろ、うちのデッキはぽんこつなので、いつ壊れるか分からないのだ。もっとも、たぶんどっかの会社で、細々ながら製造が継続されることになるとは思うが。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[文学その他] カテゴリの最新記事
|