いわゆる 「近代」 批判というのは、実はかなり歴史が古いのであって、フランス革命とナポレオンの支配に対する反動として生じたドイツ・ロマン主義を嚆矢とする。つまり、「近代」 に対する批判というものは、歴史としての 「近代」 の誕生からほとんど間を置かずに、いわばそれとセットになるものとして生れたということが言える。
ヨーロッパにおける 「後進国」 であったドイツにおいては、そのような 「近代」 批判の歴史は脈々と流れているのであり、ニーチェが称賛したショーペンハウエルは、かのヘーゲルの同時代人である。フッサールの門下であり、戦前に日本で教えたこともあるカール・レーヴィットは、『ヘーゲルからニーチェへ』 の中で、「ニーチェはバウエルに対する関係を通じてヘーゲル学派と直接につながっていた」 と指摘している。
このバウエルとは、若きマルクスの師であり友人でもあって、彼の 「ユダヤ人問題について」 が直接の論争相手としていた、急進的なヘーゲル左派の指導的理論家の一人、ブルーノ・バウアーのことである。
レーヴィットは、前掲書の中で 「いずれにしても、ニーチェの 『反キリスト』 とバウエルの 『暴かれたキリスト教』 との対応は非常に著しいので、それらは少なくとも19世紀の進行における一つの地下道をあらわすものであり、バウエルのキリスト教批判とヘーゲルの初期の神学上の論文の中の批判との一致に劣らず暗示に富むものである」 と述べている。
ヘーゲル左派におけるラジカルな宗教批判者として、ヘーゲル哲学の無神論的解釈を推し進め、その結果、大学から追放されてアカデミズムにおける地位を失ったバウアーは、最終的に 「プロイセン国家」 の歴史的使命を高唱する、反ユダヤ主義者となりはてる (興味深いのは、同じ 「ヘーゲル左派」 の思想家の一人であり、やはりマルクスの友人でもあり、マルクスと同じくユダヤ系ドイツ人であったヘスが、バウアーとはまったく反対に 「シオニズム」 の理論家として再登場したということである)。
「超人」 というニーチェの思想がナチスに悪用されたことも、「実存的決断」 を掲げたハイデッガーがナチズムに加担して、ユダヤ人であった師のフッサールを見捨てたといった事実についても、今さら指摘するまでもないだろう。戦前の日本において、「近代の超克」 なるスローガンを掲げた哲学者らの所論が、実際には軍国日本のアジア侵略を合理化するものでしかなかったことも、周知の事実である。
経済制度としての資本主義を同伴者とする 「近代」 が、現在いろいろな点で行き詰まりを見せているのは、たしかに否定できないことである。しかし、理性による 「啓蒙」 を掲げた 「近代」 というものが歴史において勝利を修めたことには、いうまでもなく十分な根拠があるのであって、単なる偶然の所産なのではない。
個人の趣味の範囲で、「近代」 以前の未開な感性や感覚に共鳴するのは自由である。しかし、そこに 「近代」 の相対化という意味はあるにしても、そのような 「前近代」 になんらかの 「世界史的意義」 があるかのように論じるのは、すでに蒙昧でしかない。
『啓蒙の弁証法』 で示されたような、「啓蒙」 の 「野蛮」 への転化を防ぎうるのは、あくまでもそのような 「野蛮」 への退行を拒否する批判的理性以外にないのであって、批判的理性自体を放棄することではない。理性そのものを放棄するならば、最も悪しきものとしての「非合理主義」にしか道は通じていないだろう。
「西欧」 というものは、けっして単なる地理的な概念なのではない。それは 「植民地主義」 という罪悪を伴いながらも、同時に世界史において最高の達成を示してきたのであり、今なお 「超克」 不能な世界史の最先端としての位置を失ってはいない。「西欧的原理」 に対して、近代以前の 「東洋的原理」 などを対置するのは、かつての 「近代の超克」 派が陥った誤謬の再現でしかない。
その意味で、「近代」 というものは、そう簡単に批判できるものでも、「超克」 できるものでもない。であるならば、「近代」 に対する批判というのは、とりあえず括弧に入れておいた方が良いだろう。正当な意味における 「批判」 とは、対象に対する単なるアンチテーゼではなく、その成果を維持しながら、より高次なものへと向かうものでなければならない。