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カテゴリ:文学その他

 朝目を覚ましても、バイロンのように有名になっていたわけでもなく、むろんザムザのように虫になっていたわけでもないが、カレンダーを見たら、2月26日であった。つまり、今日は2.26事件の72回目の記念日なのであった。

 さて、毎年この時期になると、自営業者にとっては面倒な確定申告をしなければならない。そういうわけで、先日、半日かけて書き上げた書類をもって申告会場まで行ってきた。小雨が降る天気の悪い日だったのだが、昨年は期限ぎりぎりに行ってめちゃくちゃ待たされたので、今年は早めに行くことにした。

 会場は、湾岸の埋め立て地に建てられた福岡タワーの中にあるということで、ちょいとばかりダイエットもかねてカサをさしていった。とりあえず、仕事で忙しいときをのぞいて、一日一万歩歩くことを目標にしているのだ。行ってみたら、さいわいなことに、あのスペースゴジラとゴジラの大決戦でめちゃくちゃに破壊されたタワーも、すっかり元通りに修復されていた。よかった、よかった。

 時間もそれほど遅くなかったし、おまけに雨が降っていたせいもあるのだろう。そんなに待たされることもなく、書き上げてきた書類のチェックだけ受けて提出した。昨年は間違いがあって、あとで修正書が送られてきたのだが、今年はたぶん大丈夫だと思う。天引きされていた所得税の還付が今から楽しみである。

 帰りがけに、Book Offによって100円コーナーを眺めていたら、女優の加藤治子が久世光彦からいろいろとインタビューを受けている本があった。今はなき福武文庫で出ていた 『ひとりのおんな』 という題である。加藤治子といえば、ドラマのお母さん役などでなじみの人だが、戦後に 「なよたけ」 という戯曲を残して自殺した加藤道夫の妻でもあった人だ。

 少し興味をひかれて、中を覗いてみたら、加藤のことも書かれていた。たとえば、こんなふうに。(インタビュアーは久世である)

― そのときの気持ち、覚えていますか?

治子: そのときはなにも……。でも、はっきりと死んだと思わなければならなくなったときは、腹が立ちました。

― なんに、腹が立ったんでしょう。

治子: 突然、一方的に断ち切られたことにです。

― なにが断ち切られたんですか?

治子: 全部です。今までのことも、これからのことも、芝居のことも、生活のことも。だって、それは全部を断ち切るってことじゃないですか。

― じゃ、泣きませんでしたか?

治子: 泣きません。その夜も、お通夜のときも、お葬式のときも、一度も泣きませんでした。

 加藤道夫が自殺した原因については、加藤治子もこの本の中で、「そうなる予感みたいなものは?」 という久世の質問に対し、「ありませんでした」 と答えていて、よく分からない。

 ただ、加藤は 自筆年譜 の中でこう書いている。

昭和十九年(一九四四)二十六歳
 「なよたけ」(五幕)脱稿。川口一郎氏を知る。南方へ赴任。濠洲作戦なりしか(?)、マニラ、ハルマヘラ島を経て、東部ニューギニアのソロンなる部落へたどり着く。以後終戦まで、全く無爲にして記すべきことなし。人間喪失。マラリアと榮養失調にて死に瀕す。


 この年譜はたまたまネットで見つけたものだが、加藤が自殺したその年まで続いている。つまり、加藤はこれを作成した何ヶ月かのちに自殺したわけだ。ただし、この年譜作成の経緯については、今のところ分からない。

 これもBook Offで100円で買ったのだが、上野千鶴子の 『発情装置』 という本の中に、「『恋愛』の誕生と挫折 ― 北村透谷をめぐって」 という小論がある。 北村透谷とは、若いころの島崎藤村の盟友でもあった明治の詩人兼評論家であり、藤村の 『桜の実の熟する時』 や 『春』 などの作品には青木という名前で出てくる。

 北村透谷もまた26歳という若さで自殺しているが、上野はこの中で彼のことを 「透谷という若者の、過剰に傷つきやすいナルシシズムや独善的なおもいあがりを好きになることはできなかった」 とか、「わたしは26歳の男の未成熟さを許すほど寛大にはなれないし、自分の過去とかさねてそれに涙をそそぐほど、感傷的にもなれない」 などと、ぼろくそに言っている。

 たしかに、「恋愛は人世の秘鑰なり、恋愛ありて後人世あり、恋愛をぬき去りたらむには人生なんの色味かあらむ」 という文で始まる 『厭世詩家と女性』 という評論などは、上野ならずとも、とても恥ずかしくて読めたものではない。

 しかし、山路愛山を批判した 『人生に相渉るとは何の謂ぞ』 などは、仰々しいところもあるものの、文学の実利性のみを重んじた愛山に対して、「文学は敵を目掛けて撃ちかかること、(頼)山陽の勤王論のごとくなるを必須とせざるなり」 と論じて、直接の効用を超越した文学の自立性を主張したものであるから、日本の近代評論の先駆者としての地位ぐらいは、認めてあげてもよいのではと思う。

 なお上野によると、透谷の自殺でのこされた妻である北村ミナは、七歳になる娘を親にあずけて渡米し、勉学の後に帰国してからは女学校の英語教師として教鞭をとり、再婚しないまま生涯を終えたそうである。上野は、彼女のことを 「自立した明治の女性」 と評している。

 『邪宗門』 を書いた高橋和巳の場合は自殺ではなく病死だが、彼の死後、奥さんであった高橋たか子は、その後本格的に作家としての活動を始め、今はたしか、カトリックの洗礼を受け、フランスにある 「カルメル会」 という修道院と日本との間で行ったり来たりの生活をしているはずだ。

 いっぽう、評論家の江藤淳は、奥さんが病死したあと、まるでそのあとを追うかのように自殺してしまった。

 むろん、高橋たか子と江藤淳とでは、相手に死なれたときの年齢も違うし、性格や気質というものは、男女にかかわらず人それぞれである。これだけの事例で、男と女の違いについてなど、どうこう言うわけにはいかないのはもちろんなのだが、なんとなく気になってしまった。

 

追記:アップしてから気がついたのだが、これはめでたくも畏くも300本目という区切りの記事であった。
これも、開設以来2年2ヶ月という日々の精進の賜物である。
最近は、めっきり更新ペースが落ちているけど。






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Last updated  2009.02.27 14:55:24
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