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カテゴリ:思想・理論

 昨日は一日曇っていたのに、今日は抜けるような青空だった。一日空を覆っていた灰色の天幕は一夜明けただけで魔法のように消え、足に力を入れて跳びあがればそのまま大気圏外にまで飛んでいけそうな青空になった。春はまことに天気の移り変わりが大きく、それに応じて、人の気分もころころと猫の目のように変わる季節である。

 誰が言い出したのか、世界の 「三大哲人」 というと、インドの釈迦にギリシャのソクラテス、それに中国の孔子様ということになっている。これに、さらに中東で生まれたキリストを加えて 「四大聖人」 という呼び方もあるらしい(ソクラテスのかわりに、イスラムの開祖ムハンマドを入れる場合もあるようだ)。

 鎌田東二という人(よくは知らないが宗教学者だそうだ)によれば、この 「四大聖人」 という呼び方を考案したのは、『武士道』 で知られる新渡戸稲造と講談社なのだそうだ(参照)。鎌田が言う、明治から大正にかけての 「修養」 ブームの時代とは、たとえば一高生の藤村操が 「不可解」 なる言葉を残して華厳の滝に身を投げた時代であり、夫人によれば 「狂人」 のごとき怒れる人であった漱石が、その死後には弟子らの手で 「則天去私」 の偉人へと神格化された時代でもある。

 また、西田幾多郎の 『善の研究』 が多くの青年に読まれ、倉田百三が 『出家とその弟子』 を書き、人道主義を掲げた白樺派が登場し、その一方で西田天香の一燈園 注1山室軍平の救世軍、その他、仏教系や教派神道系の様々な宗教団体の活動が活発化し、多くの悩める青年がそういった団体に身を投じた時代でもある 注2。亡き父の回想によれば、草生す田舎の神官の家から都会へと出てきたわが祖父もまた、そのような青年の一人であり、若い時期には天理教から大本教まで、いろんな宗派を渡り歩いていたのだそうだ。

 鎌田の言うとおり、東洋と西洋を含む世界の文明圏から、それぞれ無難なる代表者を選んで並べあげるという発想には、いかにも昔からなんでも折衷させることが得意だった日本人らしさがにじみ出ている。それは、後発文明国の知識人特有の劣等感と、その裏返しである肥大した意識、すなわち東西の文明という二人の巨人の肩の上に乗っているだけで、その両者を乗り越えたかのように思い込む小人的高慢さとの奇妙な混合物でもあり、小は思い付き的な 「東西文明融合論」 から、大は 「八紘一宇」 などという夜郎自大な妄想にまで共通している。

 「世界に冠たるドイツ」 とは、三月革命前のいわゆる 「メッテルニヒの反動時代」、いまだドイツの統一ならざる時代に、国を追われて放浪していた詩人が統一の悲願を込めて作った詩がもとになっているそうで、もともとは別に 「世界征服」 などという恐ろしい野望が込められていたわけではなかったらしいが、やがてドイツ・ナショナリズムを鼓吹する歌として熱狂的に唱和されるようになる。

 また、話がそれてしまった。さて、上にあげた四人に共通する点と言えば、いずれも自己の著作を残さなかったことだ。釈迦の言葉はその死後に 「仏典」 として結集され、孔子の言葉は 『論語』 として、ソクラテスの言葉はプラトンやクセノフォンによって、そしてキリストの言行は、言うまでもなくルカやマタイによる 「福音書」 として、現代にまで伝えられている。

 で、彼ら弟子たちが師の言葉をなぜ書に残したかというと(中には、すでに伝承された言葉でしか、師のことを知らない者すらいた)、それは言うまでもなく、身近に聞き、または伝承によって知った祖師の言葉に深く感銘したからだろう。「述べて作らず」 とは孔子様の言葉だが、彼らの弟子もまたそのような態度に徹した。それは、おのれが決して師の足元にも届かぬという自覚があったからに違いない(ただしプラトンは除く)。

 もっとも、孔子自身は 「後生畏るべし」 とも言っていて、若い人が秘めている可能性についても素直に認めている。このへんは、なにかというと「いまどきの若い者は」などと言いたがる、われわれ愚昧なる大衆とは、さすがにできが違う。この言葉は、さらに 「四十、五十にして聞こゆることなくんば、これまた畏るるに足らざるのみ」 と続いていて、これもまたそのとおりである。諺には 「亀の甲より年の功」 というが、いつもいつも年の功が亀の甲よりも優るとは限らないということだ。

 さて、三度話は変わるが、イチローが日本のプロ野球とメジャーの試合で放った通算安打数が、ついにあの張本の記録を抜いたそうである。これは、まさに孔子様の言う 「後生畏るべし」 の好例と言うべきだろう。

 スポーツの世界では、どんな名選手も年齢には勝てない。体力の衰えとともに、いつかは引退を余儀なくされ、指導者や解説者としての二度目の生を送らざるを得ない。テレビなどでの彼らの解説が的を得ており、思わず、うんうんと頷いてしまうのは、言うまでもなく、彼ら自身がかつては好選手であり名選手であったからである。

 ところが、世の中には奇妙な解説者というのもいる。「批評家」 と称される解説者がそれである。作家と批評家とは一般にコブラとマングースのごとき 「不倶戴天」 の関係にあり、作家の中には 「批評家」 なんて者は、実作者に憧れながらその才能がなかった連中にすぎないなどという酷評をする人までいる。たしかに、それはそれで一理ないわけでもない。

 一般に、誰かについて 「解説する者」 は、その対象が優れていると思っているからこそ解説をする。これは当たり前のことで、なにか特別な必要性などがない限り、しょうもないものやつまらないものについてまで、わざわざ自分の限られた時間を費やし、手間暇かけて解説しようなんて酔狂な人間はいない。

 ということは、だいたいにおいて 「解説する者」 と 「解説される者」 とでは、一般に 「解説される者」 の方が優れているということだ。そして、そのことは 「解説する者」 は往々にして 「解説される者」 のすべてを理解する能力を持っておらず、ただ自分の理解力に応じた、自分が理解したと思ったところだけを(それは、しばしばただの勘違いだったりもする)解説したり、ときにはしたり顔で批判して見せたりすることもあるということだ。

 つまり、なにが言いたいかというと、世上にはマルクスだ、ニーチェだ、フロイトだのと、いろんな歴史上の偉い人の思想とやらを分かりやすく解説してくれる人がいるそうだが、たいていの場合、それはその人が理解したと思っているマルクスであり、ニーチェであり、フロイトであるに過ぎず、したがって、そんなもので分かったと思ってはいかんだろうということだ。

 ましてや、まともに原著者の著作に当たらずに、そのへんの二流・三流思想家の 「批判」 なるものを読んだだけで、原著者の思想について批判めいたことを語るのは、まったく馬鹿げたこととしか言いようがない。「学びて思わざればすなわちくらし。思いて学ばざればすなわちあやうし」 とは、これまた孔子様のありがたいお言葉である。

 そもそも百年・二百年を経て今なお名前が残り、その著作が多くの人に読み継がれてきたような人、言い換えるなら、百年に一人、現れるか現れないかのような偉い人の思想について、簡単にまとめた解説ができる人など、おいそれといるわけはないのである。


注1. 馳浩衆院議員や、ヤンキー先生こと義家弘介参院議員などらで、「国会掃除に学ぶ会」 というものが作られ、国会内での素手でのトイレ掃除が率先して行われているらしいが、その発祥はどうやらこの団体ではないかと思われる。

注2. それは大雑把に言えば、明治以来の急速な近代化に伴う社会的変動によってもたらされた 「故郷喪失による不安」 の時代であり、昭和初期の左翼運動が盛んだった時期をはさんで、そのほとんどは超国家主義運動へと合流することになる。






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Last updated  2009.04.22 13:17:15
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