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カテゴリ:ネット論

 世の中には、自分にとって 「分かる議論」 をする人と、「分からない議論」 をする人がいる。「分かる議論」 とは、ようするにその人がなにを言っているかが分かるということである。厳密に言うと、それは正しいということが 「分かる議論」 と、間違っているということが 「分かる議論」 の二つに分かれるが、ここではとりあえず、その 「正しさ」 が分かる議論のほうを主に指すとする。

 いっぽう、「分からない議論」 とは、そもそもその人がなにを言っているのかも、なにを言いたいのかも分からない議論のことである。であるから、この場合、それが正しいのか間違っているのかも、分からないということになる。

 ネット上の論争とかを見ていると、いっぽうの人の言うことはよく分かり、もういっぽうの人の言うことは全然分からないということがよくある。そういう場合、人はだいたいにおいて、自分が理解できる人のほうを支持しがちである。なにしろ、いっぽうはいちおうなにを言っているか理解できるのだが、相手の方はなにを言っているのかが全然分からないというのだから、これはまあ無理からぬことである。

 しかし、よく考えると、これにはおかしなところがある。なぜなら、事実についてであれ、観念についてであれ、「論争」 とはある主題をめぐって行われるものであり、自分にとって理解できるいっぽうの議論は、それ自体としては正しいとしても、その 「正しさ」 というのが、じつは論争の主題や相手の主張とは全然関係のない、たんなる一般的な 「正しさ」 であったり、まったく頓珍漢な明後日のほうを向いた 「正しさ」 にすぎないという可能性もあるからだ。

 当たり前のことだが、一般に自分にとってよく 「分かる議論」 とは、それが今の自分の知識とか理解力とかにぴったり一致しているか、またはその範囲内にあるから、よく分かるわけだ。それは、たとえば、高校レベルの数学を十分に理解した者にとって、中学レベルの数学の問題など、ちょちょいのちょいで解けるのと同じである。

 人は、「分からないもの」 と 「分かるもの」 とが並んでいると、どうしても 「分かるもの」 の方を選びがちなものだ。しかし、「分かるもの」 ばかり選び、好んでいたのでは、「進歩」 も 「向上」 もない。足し算でも掛け算でもなんでもよいが、人間誰しも 「公式」 のようなものを覚えると、それをどこでもここでも振り回したくなる。

 「公式」 というのは便利なもので、使い方さえ間違えなければ、誰がやろうと必ず正解が出る。なので、世の中には、間違えてバツをもらうのが嫌なばかりに、間違える心配のない同じような問題ばかりいつまでも解いている小学生のような人もいる。なるほど、新しい問題などには挑戦せず、自分の能力の範囲内の問題ばかりしていれば、間違える心配は永遠にない。いつもいつも百点がもらえる。それはたしかに気持ちのいいことではある。

 とはいえ、それでは、カゴの中の輪の中で、輪をぐるぐる回しているハムスターと同じだ。一生懸命手足を動かしていて、自分では走っているつもりなのかもしれないが、じつは一歩も前には進んでいない。というわけで、論争において 「分かる議論」 をする人と 「分からない議論」 をする人がいたならば、「分かる議論」 をする人よりも、「分からない議論」 をする人の言い分のほうをよく考えてみたほうがいい。

 なにより一番駄目なのは、「分からない議論」 をする人に対して、適当に選んだ自分の手持ちのレッテルを貼っておしまいにし、「分かる議論」 をする人の肩をそそくさと持ってしまうことだ。「教科書」 に書いてないことを言う人の中にも、「教科書」 についてまったく無知な人間もいれば、「教科書」 に書かれていることなど、言わずもがなの前提にしている人もいる。

 「教科書にはそんなことは書いてない」
と指摘するのは簡単だが、とりあえず、そういう違いぐらいは考えておいたほうがよい。たしかに、1+1 は誰が計算しようと2になる。だが、それだって、2進法ということになれば違ってくる。そもそも、世の中、教科書に書かれてあることしか言わぬ人ばかりでは、ちっとも面白くもない。

 ただし、残念ながら 「分からない議論」 がすべて意味のあるものとは限らない。それが分かったことで、必ずなにかが得られるとも保証できない。とはいえ、それでも頭の体操ぐらいにはなるだろうから、まったく無駄というわけでもあるまい。むろん、それも時間があれば、の話ではあるのだが。

 さて、政局のほうは、鳩山総務大臣の辞任で、麻生内閣の支持率がまたがくんと下がったそうだ。安倍内閣以来、あれやこれやの迷言でおなじみの、あの鳩山邦夫氏がそんなに人気があったのだとはちっとも知らなかった。これもまた、よく 「分からない」 ことである。

 関が原の合戦のとき、信濃の山奥の真田家は、兄の信之が東の家康につき、弟の幸村は西の三成についた。これには、東軍・西軍のどちらが勝っても、真田家が生き残れるようにという父、昌幸の深謀遠慮が隠されていたという説がある(真偽のほどは知らない)。

 民主党結成時には手を組んだ鳩山兄弟が、その後、路線の違いとかで二手に分かれたのには、ひょっとすると同じような思惑があったのかもしれない。ただし、これは根拠などなにもない、ただの思いつきである。






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Last updated  2009.06.15 22:44:07
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