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カテゴリ:文学その他

  世界の三大恐妻家といえば、一番はなんといってもクサンチッペを妻としていたかのソクラテスだろう。ディオゲネス・ラエルティオネスの 『ギリシア哲学者列伝』 によれば、家業をほったらかしては、人を集めて分けの分からぬ議論ばかりやっていたために、彼は腹を立てたクサンチッペから街頭で水をぶっかけられたり、着ているものをむりやり剥ぎ取られたりしたという。

 二番目はというと、ロシアの文豪トルストイということになるだろう。人道主義者として知られるトルストイは、全財産を慈善のために放棄しようとして妻と争いになり、家出の途中に汽車の中で熱を出し、おりた駅でそのまま亡くなったという。もっとも、享年は82歳というのだから、すでに十分に生きたといっていいだろう。彼が亡くなった駅は、その後その名前をとってレフ・トルストイ駅と改名されたそうだ。

 クサンチッペもトルストイの奥さんも、世間では夫の仕事や才能を理解できなかった 「悪妻」 の典型のようにいわれている。しかし、富士だって優美なのは遠くから眺めている限りのことであり、近くによってみればごみや石ころが散乱したただの山である。夏目漱石も、小宮豊隆などの弟子からは 「則天去私」 を絵に描いた偉人のように言われているが、一緒に暮らしていた奥さんに言わせれば、ただの癇癪もちである。

 こういうことには、キリスト様も頭を痛めたらしく、マルコの福音書によれば、故郷のナザレに帰って説教をしたさい、昔からの知り合いとかに 「あいつは大工ではないか、マリヤの息子ではないか」 と嘲られたあげく、いつものような奇跡をおこなうこともできず、結局 「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」 というすて台詞をはいて立ち去ったという。

 トルストイの家出をめぐっては、戦前に当時まだ気鋭の評論家であった小林秀雄と、彼より20歳以上年長の明治の小説家 正宗白鳥との間で有名な論争がおきている。ことの発端は、正宗白鳥が 「トルストイについて」(岩波文庫 『作家論』 に所収)という短文の末尾で、次のように書いたことにある。

 二十五年前、トルストイが家出して、田舎の停車場で病死した報道が日本に伝わったとき、人生に対する抽象的煩悶に堪えず、救済を求めるために旅に上がったという表面的事実を、日本の文壇人はそのままに信じて、甘ったれた感動を起こしたりしたのだが、実際は細君を怖がって逃げたのであった。
 人生救済の本家のように世界の識者に信頼されていたトルストイが、山の神を恐れ、世を恐れ、おどおどと家を抜け出て、孤往独遇の旅に出て、ついに野垂れ死にした径路を日記で熟読すると、悲愴でもあり滑稽でもあり、人生の真相を鏡にかけてみるごとくである。ああ、我らが敬愛するトルストイ翁!


 これに対し、小林は 「作家の顔」 の中で、「偉人英雄に、われら月並みなる人間の顔をみつけて喜ぶ趣味が僕にはわからない。リアリズムの仮面をかぶった感傷癖に過ぎないのである」 と書いて、激しく噛み付いた。

 「あらゆる思想は実生活から生まれる。しかし生まれて育った思想がついに実生活に決別するときが来なかったならば、およそ思想というものになんの力があるか」 と書いた、若き小林の啖呵はなかなかのものである。小林がいうとおり、生活から生まれぬ思想はただの空疎な借り物にすぎぬが、生活べったりの思想には意味がない。

 思想は生活から生まれるものだが、それが思想となったとき、必然的に生活からは乖離せざるをえない。そのような乖離に気づいてない者がいるとすれば、それはその人の思想がただの借り物にすぎないからだ。乖離自体が問題なのではない。乖離しているからこそ、そこに現実との緊張感も生まれる。問題なのは、そのような生活からの乖離という自覚もなしに借り物の思想を振り回すことだ。今も昔も、あっちからこっちへと、ただ軸を変えただけで、なかみの変わっていない 「転向」 は、そこから生まれる。

 ただし、白鳥の言いたかったことはそういうことではない。白鳥の文章を読めば分かるが、白鳥が嘲笑したのは、偉人の行いとあれば、たとえ屁をここうが、立小便をしようが、どんなことでもありがたがる者らの俗物性なのである。なので、この論争はまったくかみ合っていない。白鳥は小林が言うように、なにもトルストイを 「月並みなる」 俗物のレベルに落とし込んで喜んでいるわけではない。

 ただ、それはそれとして、小林の書いていることには、まったく意味がないわけでもない。論争というものの評価が難しいのは、今も昔も変わらない。当事者の一方のみが後世に伝えられたりした場合などは、とくにそうだ。この論争でも、小林がのちに 「批評の神様」 と偶像化されるようになり、その文章が今も読まれているのにくらべると、白鳥のほうは分が悪い。白鳥に言わせれば、大見得をきった小林の啖呵など、「当たり前じゃないか」、「意味のない空言になるのではあるまいか」 ということになる。

 さて、三番目の恐妻家はだれかというと、いくつか説があるようだ。ぜいたくで有名なジョゼフィーヌを妻とするナポレオンだという説もあるし、ねねを正室とした秀吉だという説も一部にはあるようだ。ただし、秀吉の場合、日本の恐妻家としては文句ないが、やはり世界的にはさほど有名でないというのが難点だろう。

 むしろ、ここではマルクスを有力な候補としてあげたい。マルクスの妻はイェニー・フォン・ヴェストファーレンといって、彼より4歳年上の貴族の家の娘である。ドイツ人で名前に 「フォン」 がつくのはそれだけで偉いのだが、イェニーの兄はドイツ統一前のプロイセンで大臣を務めてもいるのだから、なかなかの 「家柄」 である。

 マルクスは、イェニーが嫁入りのときについてきたお手伝いさんに、フレデリックという息子を生ませている。これはむろん妻であるイェニーの目を盗んだ行為であろうが、生まれた子はエンゲルスの子ということにされ、エンゲルスは死ぬ間際になって、ようやく周囲に真相を打ち明けたという。これなどは、まさにマルクスの恐妻家ぶりをあらわすエピソードといっていいだろう。白鳥がこれを知ったならば、なんと言っただろうか。

 さて、先週の都議選をうけて、いよいよ麻生首相が解散を決断したらしい。あの結果では、地盤の弱い議員らが浮き足立つのも無理はない。とりわけ、都を地盤にする議員としては顔面蒼白・驚天動地の思い、まさしく生きた心地もしないといったところだろう。

 その意向をうけて、自民党内では大騒ぎのようだったが、結局不発に終わったようだ。実際、衆院の任期切れはもう目の前に迫っているのだから、解散をいつにしようがたいして違いはあるまい。その直前に党の顔を変えたところで、みっともないだけである。だいいち、それで総裁を選びなおし、国会でむりやり首班指名をやったところで、総選挙で負けたのでは目も当てられぬ。

 史上最短の内閣は、ポツダム宣言受諾後の敗戦処理にあたり、54日間続いた東久邇宮内閣だそうだが、たとえいま麻生にかわって総理になったとしても、選挙で負ければそれでおわりである。そうなれば、2ヶ月続いた宇野内閣羽田内閣どころか、「宮様内閣」 をも上回る、史上最短記録ということになる。いくら総理・総裁のいすが魅力あるものだとしても、そのような後世に恥を残すことになりかねない危険な賭けを、今この時期にあえてしようという酔狂者もいないだろう。

 ようするに、中川・武部の両元幹事長や、そのしたにいる有象無象の議員らも、あえて自分で火中の栗をひろおうという度胸も覚悟もないままに、だれかをあてにした策謀ばかりやっているように見える。そもそも大将のいない戦など、戦にすらならない。これでは、へなへなの麻生や細田・河村といった面々にすら勝てるはずがあるまい。

 巷間に伝わる予定では、21日解散で8月31日投票ということらしいが、とするとまさに夏休みの最中、夏のいちばん暑い盛りの中での選挙運動ということになる。こちらでは山崎拓などがそうだが、現職議員を含めて、立候補を予定している方々の中には高齢の人も多いようだから、ここはけっして無理をせず、くれぐれも自分の体調を考えて選挙戦に臨んでもらいたい。

 実生活とはなれて飛行しようとするのが思想本来の性格であり、力であるからだ。こういう力の所有者であることが、人間を他の生き物から区別する一番大事な理由なのである。抽象の作業がもっとも不完全となり、その計量的性質がもっとも曖昧になると、思想は実生活の中に解消され、これに屈従するよりほかになすところを知らないようになる。これをぼくらは通常思想とは呼ばず、風俗習慣と呼んでいる。

小林秀雄 「文学者の思想と実生活」 





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Last updated  2009.07.18 17:19:26
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