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カテゴリ:文学その他
八月にはいっても天候はすぐれぬ。熱帯夜にはならぬから、寝苦しさに悩まされぬのはよいが、強い日差しや高温を必要とする作物を育てている農家や、海岸での 「海の家」 を経営しているような方々にとっては、いささか頭の痛い夏となりそうだ。 冷夏といえば、今から16年前にもあったことで、その年には米が著しい不作となり、タイ米や米国のカリフォルニア米などが大量に輸入される騒ぎとなった(参照)。タイ米は日本の米と種類が違ってねばりがないため、世間ではあまり人気がなかったようだが、わが家のような貧乏家庭にとっては、ただ安いというだけでありがたかったものである。 先日、アポロが月に残してきた、着陸船の土台らしき姿を写した月面の画像が公表された。それでも、まだアポロは月に行っていないとか、あの映像は偽造だとか言い張る人も一部にはいるようだが、今回の花火大会に関しては、画面からの音と寸分たがわぬ同じ音が10秒遅れで外から聞こえてきたので、これが偽装や合成でないことは十分に明らかである。 ところで花火というものは洋の東西を問わず、おめでたいときに打ち上げられるものらしい。花火の場面を写した映画にもいろいろあるだろうが、有名なのは半世紀も前にポーランドの映画監督アンジェイ・ワイダが撮った 「灰とダイヤモンド」 の一場面であろう。 さて、ずいぶんと昔のことだが、この映画について、30年以上前に亡くなった評論家の花田清輝はこんなことを書いている。
「無邪気な絶望者たちへ」 より 上に引用した文からもわかるとおり、花田という人は、深刻ぶった顔つきやナルシズム、センチメンタリズムが大嫌いだった人である。花田もいうとおり、たしかに 「現実の政治は、革命や抵抗の場合であってもひどく散文的なもの」 であろう。にもかかわらず、ついつい同じワイダのワルシャワ蜂起を描いた 『地下水道』 を第一位に選んでしまったというのは、そういう花田の奥底にあった心情というものが、思わずぽろりと出てしまったということなのかもしれない。 花田といえば、吉本との論争でも有名である。どちらの肩を持つかは、とりあえず人それぞれである。花田の肩を持つ人の中には、同郷のよしみで中野正剛率いる東方会と関係のあった花田を、吉本が 「転向ファシスト」 と呼んだことを問題視する人もいるようだが、花田だって戦中世代である吉本をファシスト呼ばわりしたのだから、それはお互い様というものだ。 ただ、すでに 「前衛党」 神話や、世界を 「社会主義」 圏と資本主義圏による東西対立として捉える認識から抜け出ていた吉本のほうが、いまだそのような認識を軸としていた花田よりも、一日の長があったということは言えるだろう。もっとも、頭のいい花田であるから、ひょっとするとそういう認識も、本人としてはただの戦略のつもりだったのかもしれない。 たとえば、「わたしは、スターリン批判を、スターリン流の一国社会主義に終止符を打ち、ソ連における世界戦争に対する抵抗態勢を、世界革命に対する推進態勢にきりかえるためにおこなわれたものとして受け取った」 などという花田の言葉は、どうみても、当時の党の路線とはまったくちがう、当時はまだ悪魔扱いされていたトロツキストの言葉である。 また、「前近代的なものを否定的媒介にして近代的なものをこえる」 という彼の有名なテーゼも、読みようによっては、「後進国」 における二段階革命論を否定した、トロツキーの永続革命論の密輸入のように読めないこともない。 花田という人が頭のいい人であったことは言うまでもない。ただ、その頭の良さのために、彼にはしばしば、自分だけ大所高所に立ったがごとき、机上の戦略を語りたがるという癖があったようだ。なにかといえば、「前近代的なものを否定的媒介にして近代的なものをこえる」 とか、「大衆的芸術を否定的媒介にした芸術の総合化」 といったスローガンをぶち上げたがるのもそうだろう。 戦中世代である吉本をもっとも怒らせたのは、「戦争中、戦争の革命へ転化する決定的瞬間を、心ひそかに持ち続けてきたわたしは、あまりにも早過ぎた平和の到来に、すっかり、暗澹たる気持ちにならないわけにはいかなかった」 という、「戦後文学大批判」 の中での言葉だろうが、花田にすればこれもただのイロニーに過ぎなかったのかもしれない。 しかし、沖縄の壊滅から特攻隊の召集、二発の原爆投下からソビエトの参戦にまで至り、日ごとに膨大な死者が出ていた当時の状況を考えてみれば、これはやはり無責任な放言といわざるを得まい。同世代に多くの死者をもつ吉本が怒ったのは、当然すぎるほど当然な話である。 党に対して面従腹背の気味もあった花田が、60年安保闘争を全力で戦った当時の全学連を指導した共産主義者同盟の解体をまるで待っていたかのように、構造改革派(小泉の構造改革とは全然関係ない)と呼ばれた、社会主義革命を主張する当時の共産党内の左派グループとともに集団で除名されたのには、なにやら 「策士、策におぼれる」 とか 「巧兎死して走狗煮らる」 といった感がしないわけでもない。 つまるところ、頭の良すぎた花田に欠けていたのは、良くも悪くも鈍牛のようにしつこい吉本の粘り強さということになるだろう。福岡生まれの花田はいかにも九州人らしい旗振りが好きないっぽうで、典型的な都会的モダニストでもあったが、天草生まれの船大工だったという祖父をもつ吉本のほうは、東京生まれでありながら、いくつになってもどこか田舎臭さの抜けない人でもある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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