伊勢湾台風の再来か
台風18号は、古来の南海道の鼻先をかすめて愛知県南部に上陸した。その後、本州を縦断して、東北から太平洋に抜けたとのことだ。同じようなコースをたどり、大きな被害をもたらした台風といえば、誰もが伊勢湾台風を思い起こすだろう。報道でも、伊勢湾台風との比較がさかんに行われている。 伊勢湾台風が襲来したのは1959年9月26日ということだから、その記憶はまったくない。なにしろまだ三歳にも満たぬころだから。ただ、伊勢湾台風は阪神大震災が起こるまでは、戦後最大の被害をもたらした自然災害だった。阪神大震災の死者は6,434人、行方不明者3人、負傷者43,792人ということだが、伊勢湾台風による死者は4,697人、行方不明者401人、負傷者38,921人にのぼっている。 むろん、現代では、当時にくらべ河川の改修や河口付近の防潮堤の整備、それになによりも上陸のはるか前からの正確な進路予報のおかげで、台風のためにそのような甚大な被害が出ることはないだろう。とはいえ、すでに2名の死者と59名の負傷者が出たということだ。もちろん近親に死者を出した人にとっては、その数の大小など関係のない話ではある。 ところで、洪水神話といえば当然 『創世記』 にある 「ノアの箱舟」 の話が連想される。ノアの箱舟は、トルコと旧ソ連との国境に近いカフカス山中の山、アララト山に漂着したとされているが、あんな巨大な箱舟が実際に作られたとはとうてい思えないので、これは眉唾な話だろう。おそらくは、「伝説」 を作った人々にとって、アララト山が彼らの知る最も高い山だったということにすぎまい。 この洪水説話そのものは、それよりはるかに古いメソポタミアの神話が原型だそうだが、そのひとつ、最古の文明であるシュメールの伝説的な王にして英雄ギルガメシュを歌った 「ギルガメシュ叙事詩」 では、洪水の場面がこんなふうに描かれている。六日七夜、風と洪水が大地を襲った。嵐は大地を平らにした。七日目になると、嵐は去り、洪水は苦悶する女のように自らと格闘した。大洋は静まり、悪風は治まり、洪水は退いた。私は一日中あたりを見回した。沈黙があたりを支配していた。すべての人間が粘土に戻っていた。大地は屋根のように平らだった。(中略)七日目になって、私はハトを放した。ハトは飛んでいったが、戻ってきた。休み場所が見つからなかったので、戻ってきたのだ。私はツバメを放した。ツバメは飛んでいったが、戻ってきた。休み場所が見つからなかったので、戻ってきたのだ。私はカラスを放した。カラスは飛んでゆき、水が退いたのを見た。カラスはついばみ、身繕いし、頭を動かしたが、戻ってこなかった。そこですべての鳥を四方に放ち、犠牲をささげた。「11枚目の粘土板」 より これを読むと、アメリカに多いらしいID(インテリジェント・デザイン)論者のような 「聖書」 原理主義者には悪いが、たしかに 『旧約聖書』 の物語のほうはただのパクリだとしか思えなくなってくる。 さて話は全然かわるが、ネットなどの公共の場での議論では、しばしば 「中学生にも分かる話」 と 「中学生には分からない話」 が対立することがある。言い換えると、これは基本だけを教える 「初級編」 と、それを前提にし、さらにその上のことを学ぶ「上級編」の対立ということだ。 「上級編」 では、「初級編」 で一般的に教えられたにすぎない原則がより厳密に定義されたり、原則を制限する条件や状況について教えられたりする。その結果、それまでの原則に反するかのごとき 「例外」 が教えられることもある。初級者にとって 「原則」 は唯一にして絶対だが、上級者にとっては必ずしもそうではない。 また、たいていの分野では原則はひとつではなく、互いに対立することもある。その結果、「初級編」 での教えと 「上級編」 の教えとは、しばしば対立し相反するかのように見えることになる(ただし、カルト教団などでしばしば見られる、教祖に絶対忠誠を誓った特定の信徒のみに内密で伝授される 「高度の教え」 なるものは、これとは別の話である)。 たとえば、小学生の算数では 「引く数」 は 「引かれる数」 より小さくなければならない。そうでなければ、引き算そのものが成立しない。しかし、中学生になると、この原則が簡単にひっくり返される。それは、言うまでもなく、負の数が導入されるからだが、ここで 「なんでやー」 と躓くと、その先には進めないことになる。 当然のことだが、「中学生には分からない話」 を理解できる人の数は、「中学生にも分かる話」 を理解できる人よりも少ない。ただし、そこの段差がさほど大きくなければ、「中学生には分からない話」 を理解できる人もそれなりにおり、「中学生にも分かる話」 しか理解できないという人はそれほど多くはないだろうから、さして問題とはならないだろう。 困るのは、この差がいささか大きく、そのため、「中学生には分からない話」 も理解できるという人の数があまり多くなく、結果的に 「中学生にも分かる話」 しか理解できない人のほうが多数を占めるといった場合である。 実際の中学生ならば、「自分はまだ中学生だから、これはまだ理解できないんだ。もっと勉強して理解できるようになろう!」 ですむのだが、あいにくと 「公共」 の議論に参加する人たちは、みな自分は立派な大人だと思っていて、本当はまだ中学生にすぎないということを自覚していなかったりする。 なので、そのような場では、しばしばただの 「基本編」 にすぎない 「中学生にも分かる話」 のほうが正しく、「中学生には分からない話」 は間違っているかのように見え、結果として多数を制してしまうという、へんてこりんなことが起きてしまう。 「科学」 や 「学問」 のように、それなりの知識を必要とし、参加資格が実質的に制限されていたり、暗黙のうちに序列化(それがつねに適切だとは限らないが)されているような場なら、そういうことはあまり起きない。しかし、建前上、すべての人に開かれている 「公共」 の議論では、こういうことがあちこちでけっこう起きる。 「公共」 の議論に参加する者の資格を制限するわけにはいかないので、これはしょうがないのだが、そういうところを実際に目にしたりすると、いささか脱力してしまう。勝ち誇ったような身振りで、「原則論」 をとうとうとのたまう人がいたりすると、「そんなことは分かってるよ」 とか、「いや、そういうことを最初から言ってるのだけど」 などと言いたくもなるという話である。 ところで、今日は10月8日、つまり、今から42年前に、戦争下にあった南ベトナムの首都サイゴンを訪れようとした当時の佐藤栄作首相に対し、「三派全学連」 と呼ばれたグループの学生らが空港近くでデモを行い、機動隊と衝突した結果、山崎博昭という京大の学生が死亡した日である。 彼は1948年生まれだったそうだから、生きていれば来月で61歳ということになる。評論家の橋本治や糸井重里、作家の立松和平らと同じ世代。とくに糸井とは、誕生日がわずか2日しか違わないらしい。注: 念のために、付け加えておきますが、文中で 「中学生」 という言葉を使ったのはあくまで比喩なので、もしそれが不愉快だという方がいれば、適当に 「高校生」 とか 「大学生」 などの言葉に置きかえてください。 また、だから 「公共」 の場の議論への参加には、資格制限をつけるべきだなどということを言っているわけでもありません。