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テーマ:今日の出来事(292065)
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東京湾の入り口 館山は 首都東京と横須賀軍港を護る 特別な役割りを担っていました。 陸の空母と呼ばれた 館山航空基地は 東京湾要塞基地でした。 延べ2キロに及ぶ 赤山地下壕は 人の手で ツルハシにより 一歩一歩 掘り進められました。 戦闘指揮所 作戦室 救護棟 薬品室 等々 部屋が分かれ 迷路のようになっていました。 見学する人たちには 猛暑の外から見ると 別天地で寒い位でした。 見学を終えて 大根飯 すいとんを頂きました。
蕗のとうの 終戦は 外地の北朝鮮で向かえ その後は 夜暗くなるのを待って 逃避行を続ける 避難民の生活が始まりました。蕗のとうは2歳 弟が生後3ヶ月でした。 母は30代 20代の弟二人を戦争で亡くしました。
戦争の話をする母の顔は いつも涙に包まれました。 孫たちが 戦争に行く日が 来ないように 願うばかりです。
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