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中世武士団をあるく 安芸国小早川領の復元

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2005.08.17
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カテゴリ:三原市 石塔
五輪塔の調査にあたって、最大の難関は、年代の特定です。
五輪塔は、年号をもたないものが多いため、いつ頃つくられたものなのか、年代を特定することは、容易ではありません。

小早川領にも、たくさんの五輪塔がありますが、いまのところ年号をもつ五輪塔は、三原市本郷町常円寺にある「至徳三年」(1386)の銘をもつ1基だけです。
これとて、五輪塔の地輪の部分しか残ってはいません。


本郷町
写真中央の四角い石が至徳三年の銘のある地輪です。
銘は、地輪正面のむかって右側にあります(この写真だとわかりにくいですね)。











また、多くの五輪塔は、さまざまな部材を寄せ集めて積みあげたものが多く、たとえ五輪塔の形をしていても、それが本来の組み合わせなのか、はっきりしません。

なかには、写真のように、五輪塔の水輪を二つ重ねて、そのうえに空風輪をのせているものもあります。
なにか雪だるまが王冠をつけているようにも見えますね。

小早川家墓地 五輪塔
左右の五輪塔は、いちおう五輪塔の形をしていますが、火輪と比べて水輪が大きく、あきらかに異なる五輪塔の火輪と水輪を組み合わせたものになります。
空風輪も別物ですね。
ちなみにこの五輪塔は、竹原市の「小早川墓地」にあるものです。








土井卓治さんは、『石塔の民俗』(岩崎美術社)のなかで、「でたらめに四つ五輪塔形に積んであるものを本来の姿になおし、それが何時の年代のものであるかを決定することは、この道の専門家でさえも至難といより不可能といった方がよい」(105頁)と記していますが、もともと文献史学を専門としてきた「この道の専門家」でもない私にとっては、お手あげの状態です。

もちろん、鎌倉時代のものか、戦国時代のものか、その程度の判別ならば、外観をみればできますが、もう少し細かく、何世紀ごろのものなのか、といった細かな点になると、石塔の研究者も、よくわからないのが現状なのです。

しかし、この点をきちんと解明しないと、五輪塔を歴史資料として幅広く活用できません。

たとえば、室町時代になると、1メートルに満たない小型の五輪塔がたくさん造られます。
これは、それまでは、ある特定の階層のものしか手が出せなかった五輪塔を、その下の階層のものたちも造立するようになった(注文するようになった)ことを意味しています。

こうした動きが、いつごろから顕著にあらわれてくるのか、どのあたりに多く造られるのか、こうした謎を解くためにも、五輪塔の年代の特定は、避けては通れない重要な作業なのです。

ところが、これまでの石塔の研究者は、こうした小型の五輪塔については、それほど関心を向けてはきませんでした。
それは、五輪塔の研究が、おもに美術史的な観点から研究されてきたことと関係しています。

五輪塔は、鎌倉時代の後期の前半頃(13世紀末)に、ひとつの形が確立されます。
そして、室町・戦国・江戸初期と時代がくだるにしたがって、その確立された形は崩れ、小型化していきます。
このため、主な関心は、姿かたちの良い鎌倉時代の五輪塔に向けられ、「退化」した五輪塔については、それほど価値を見出してはこなかったのです(これは五輪塔に限らず宝篋印塔にもあてはまります)。

しかし、私のように、石塔を美術品ではなく、歴史空間を復元するための歴史資料として活用しようと考えている人間にとっては、たとえ「退化」したものと見下されようと、その時代を読み解く、大切な資料です。
なにより、その時代の人々の魂がこめられた墓であり、供養塔であることを、忘れてはなりません。
たとえ五輪塔の残欠であっても、それは、その土地に五輪塔を造るだけの人間がいたことを示す歴史の証言者であり、これからも大切に守らなければならない文化財だといってよいでしょう。

ところが、こうした残欠まで目配りした自治体史は、ごくわずかで、多くの自治体史は、調査すらまともにしていません。
それでは、その地域の歴史をきちんと復元したことにはならないでしょう。

したがって、これからは残欠にも目配りした調査がどうしても必要になってきます。
さらに、五輪塔を歴史資料として活用するためにも、年代を知るためのモノサシづくりが必要になってきます。
また、その前提として、どのようなタイプの五輪塔があるのか、きちんと分類する必要もあります。

数が多いため、そう簡単にできる仕事ではありませんが、今年の小早川領の調査は、こうした五輪塔の分類作業を重要なテーマにすえています。





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最終更新日  2005.08.18 12:21:10
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