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Apr 26, 2020
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カテゴリ:独り言
​​このブログを読んで頂いている、昔馴染みの方はご存じだと思うが、​自律神経失調症を患って、

もう20年経ちます。​


そのきっかけは明確な理由があり、未だその『呪縛』から解放されません。

今回、転職して少し前向きになれた気がして、改めて今一度その『呪縛』から

解き放たれるよう、ここで振り返ろうと思います。

何か今なら、自分が変われそうな気がして…



※内容はとても暗い話です。苦手な方はスルーして下さい。m(_ _)m
​​​



私が自律神経失調症を発症したのは、明確な原因が有るんです。

大学を卒業して入った会社で同僚だった先輩の死と震災で高槻の独身寮に

住んでいた頃に大変可愛がって頂いた副本部長の死が悔んでも悔やみきれなくて…

もしかしたら、私が救えたかもしれない二つの命…

その悔やんでも悔やみきれない後悔を未だに引きずっている。

それは私の思い上がりかもしれないけど…




先輩はとても自信家で後から配属された私のことをライバル視していて、

結構強く当たられていました。しかし、別の部署の課長がその先輩の姿を見て、俺に

「彼と同じタイプの人間を俺は見てきた。そいつは結局、自ら死を選んだ」

「彼も同じタイプの人間でもろい人間だから、同じ結果が見えている」

とある時ハッキリ私に言ったんです。

それ以来ずっとその言葉が私に刻まれていたのですが、実際どうしたらよいのか分からず

過ごしていたある日、その先輩が無断欠勤して失踪しました。

数日間見つからず、先輩が次に戻ってきたときはあの自信に溢れていた姿は微塵も感じられず、

ほぼ廃人同様となっていました。

直ぐにその先輩は故郷の岡山の実家で自宅療養することになったのですが、

時より私だけに電話が掛かってくるようになりました。

その電話ではいつも決まって弱弱しい声で

「俺もうクビやろ?」

と毎回同じことを私に言って来ました。

その度に私は

「大丈夫ですから、今はゆっくり休んでいてください」

と伝えていて、そのことは直属の課長にも都度報告してましたが、

その課長は「相手にするな」と言い放ったんです。

そんな先輩とのやり取りも徐々に無くなっていた頃、突然、会社にその先輩が

交通事故で亡くなったとの連絡が入りました。

勿論、岡山まで行って葬儀に参列しました。

​​私は遺影を見ると感情が抑え切れず、人目をはばからず私は号泣してました。

しかし、その時どうしても腑に落ちない点が一つありました。

それは私と同じくクルマ好きだった先輩の愛車が傷一つなくガレージに有りました。

おかしいとは思ってましたが、総務からは先輩の母親のクルマで事故にあったと聞いていました。

それから、1,2年経ったとき先輩の居た東京の営業所に行った時、

先輩の上司代わりだった部長から、

「会社は隠しているが、あいつは母親のクルマで出掛けてとある橋から投身自殺をした」

と教えられました。

それを聞いた時、私は愕然としたのと同時にもう少し何か出来ることは無かったのか?

と自問自答を繰り返していました。

しかし、『負の連鎖』はこれで終わりませんでした。

先輩の死のことも、少し落ち着いたころ、課長から

「仕事も落ち着いてきたので、お前そろそろ結婚しろ」

と言われました。

私も丁度、ウナギの寝床で隙間風が入るような独身寮から早く出たいと思い始めた矢先でしたので、

結婚することにしました。

しかし、嫁はパイプの太い取引先に在籍していたことも有り、披露宴をしても

両方の会社のしがらみに巻き込まれそうだったので、それを避けるために、

身内を連れてハワイで挙式して、披露宴は会費制の軽い感じの披露宴パーティーに

することにしました。

勿論、高槻に居た約4年間ずっと、父親代わりだったような副本部長にも出席をお願いし、

大変喜んで頂いて快く快諾してくれました。

その副本部長は仕事は物凄く出来るのですが、酒癖が悪く、いつも、私と一緒に飲むときは

必ず高槻まで送り届け、別れる際は副本部長の奥様に毎回電話を入れて何処で別れたかを

報告してました。

なので、披露宴パーティー当日も岡山の先輩に私が送って帰れないので、同様にしてほしいと

伝えていました。

しかし、翌朝その岡山の先輩から電話が入り、副本部長が家に帰ってないとの連絡を受けました。

私はあれだけお願いしたのにと思ってましたが、悪い予感は当たり その日のうちに、

岡山の先輩から連絡があり、副本部長が披露宴パーティーをしたホテルの近くの海で

水死体で発見されたと言われました。

私は岡山の先輩を責め立てましたが、当然何事も状況を替えれるわけでもなく、

失意のまま出社しました。

オフィスに入ると副本部長が座っていた席には大きな花が飾られており、それを見るのが辛くて

職場を逃げ出そうと何度も思いました。

勿論、葬儀には参列したのですが、奥様より「お顔を見てあげて下さい」と言われて棺を除いた瞬間、

押さえていた感情が爆発してしまい、私一人泣き崩れました。

葬儀が終わって暫くしてから、上司に連れられて、副本部長の自宅に伺い仏壇にお線香を挙げさせて

貰い、奥様には私がちゃんといつも通りにしていたらこんなことにはならなかったと詫びました。

奥様は私がこれまで副本部長が帰宅されるときに毎回電話していたことを有難く思っているし、

副本部長も私の結婚を実の息子のように喜んでくれていたから自分を責めないで下さいと

言って下さいました。




しかし、私は僅かな間に身近に居た私が関わった人を二人も亡くしたことの罪悪感は誰にも

言えませんから、苦しみました。

そしてその弊害が不眠症となり、朝まで起きてそのまま出勤すると言う異常な日常を送ってました。

その少し前から二人に抜けた穴を埋めるべく私達は日本全国出張に出ると言う激務の中、

岡山の先輩も精神疾患となり、自宅療養することになり、岡山の先輩が復帰したときに

不眠症で有ることを告白したところ、抗うつ剤を渡され一度飲んでみろと言われ、

藁にもすがる気持ちで服用しました。

確かに眠れたのですが、その代償は大きく、呂律が回らなくなってました。

しかも、丁度その頃中国進出の話があり、その営業代表として私が抜擢されており、

2回目の中国出張が決まって出発する寸前だったので、上司と相談してその時初めて心療内科を

受診することになりました。


1つ目の心療内科でぼろくそに言われて、二度と心療内科には行かないと思っていたのですが、

神戸に良い病院があると言われて恐る恐る受診したら、その先生は私に何も聞かず、

私の目の動きを確認しただけで、

「今まで頑張ったね。もう安心していいよ」

と優しく言葉を掛けられた瞬間、救われたと思ったのも同時にメンタルも崩壊しました。

その後、直ぐに半年間の自宅療養生活が始まり、​電車に乗れなくなったり、引きこもりになったり、

夏の暑い日に、体温コントロールが出来なくなって布団をかぶって寝てたり…

あの半年は悲惨だった。​

その後、職場復帰するけど、出社して驚いたことが…

当時勤めていた会社は某一部上場企業の子会社だった。

なので、当然親会社からの天下りはあった。

私が半年間休職している間にクーデター的なことが勃発して、それまでいた本部長クラスの方々が

根こそぎ辞めさせられていて、上層部の顔ぶれがガラッと代わっていた。

所属していた部署も同様で、私が入社してからずっとお世話になっていた本部長も例外ではなかった。

私はその新しい本部長に病気のことがあって、目の敵にされた。

当時は『パワハラ』って言葉が無かったので、そんなことがまかり通った。

ある時、課長に呼び出され、本部長と3人で話をした。

転勤の話だった。

東京か岡山の2択だった。

私は当然、営業から離れたくなかったので、東京を選択した。

しかし課長は強引に岡山を推してきた。

その課長というのは自殺した先輩から電話が掛かってきたときに「相手にするな」といった張本人。

結局、そいつの一言で私は岡山に行くことになった。

それは、営業から外されることを意味した。

私にとってそれは屈辱的なことだった。

岡山に行った私はさらに壮絶なパワハラにあった。

更に子会社への転属、そこで待っていたのは、日雇いのおっさんがするような力仕事。

これまでのプライドをズタズタにされるどころか、パートのおばはんにでさえ馬鹿にされる日々だった。

結局、辞める羽目になるんだけど、

発端になった課長のお陰で私はその後の人生を大きく狂わされたと今でも思っていて、

『一人殺してもいい』

って言われたら、こいつっていうほど、未だに恨んでる心の狭い男です。

その後、転職したけど病気が完治するわけでもなく、転職を繰り返すとブラック企業にしか出会わない

負のスパイラルにはまった気がして、生きる望みすらなくして、いつしか、

『俺はただ無駄に生かされているだけ…』

って思ってた。

昔は通勤で朝、駅のホームに立っているとき、

『楽になりたい…』

と思い、電車に飛び込もうという思考が湧いてきたこともあったけど、結局そんな勇気はなかった。

『生かされていることが辛い…』

自分で死を選べないなら、不慮の事故に出も巻き込まれてとも思ったこともあった。

そして、いつしか人と関わるのですら、嫌というか、うまく入り込めない時期もあった。

高校時代から付き合いのあった奴も俺が病気に甘えていると言って、馬鹿にしていた。

だから、そういう奴とは関係をゴッソリ断ち切った。

それも”逃げ”かもしれない…

よく言われるのが、

「病気に逃げてばっかりいて…あなたはまだ恵まれている。世の中にはもっと大変な人が一杯いる」

それって、健常者だから言えることだと思うんだよね。

また、言い訳に聞こえるのかもしれないけど、病気になったことしかわからないという意味は

その人のによって、環境も心理状態も違うから各々違うと思う。

だから、私は同じ苦しみを持つ人の心の根っこの部分は尊重する。

何度か自分を押し殺して、病気に甘えているという奴とも付き合おうとして無理した時期もあったけど、

結局、苦しくなって、心無い言葉にまたメンタルが左右されるくらいなら、

無理して付き合わなくてもいいと思った。

「お前のことを思って言っている…」

という奴に限って、自分の持論を展開して、相手の言葉を拾おうとはしない。

悩みを持っている人の心の闇の深さは計り知れない。

だから、相談を受けたら持論を展開せずに、言いたいことを言わしてあげるように聞き役に徹する。

そうすることで、その相手が楽ななるならとも思うし、その人が何かその状態から脱出してくれる

ヒントをつかんでくれたらって思う。

結局、そこから這い上がらるのも自分次第。

誰も助けられない。

環境を変えるには、自分を信じて行動を起こすしかないし…



私は大学時代にバイト先で、働きが良かったからスカウトされた。

そりゃ、勝手知ったるで、それも良かったのかもしれない。

でも、一人の社員のおじさんが、私に行ってくれた言葉が心に刺さり、そこには就職しなかった。

そのおじさんが言った言葉は

「男だったらこんなところに甘えずに億単位の金を動かす男になれ!」

その言葉が私を後押しして、​私を就職活動に向かわせた。

で、実際就職して2年が経過したとき、担当していた商材がとあるヒット商品採用されて

個人売り上げは1億を超えた。

それは自分で一から手掛けた仕事だった。

その実績が評価されて、ほかの部署に移った後も個人売り上げは伸ばし続け、最終的には個人売り上げが

年間3億を超えていた。

それが20代後半のこと。

当時の会社の売り上げが100億円前後で推移していたので、自分がその約3%を担っていることを

自負していた。

当然、将来的なプランも30代前半には課長まで昇り詰め、最低でも最後は部長まで昇格して

年収1000万円プレイヤーを目指していた。

出張は多く、日本国中を飛び回っていた。

東京出張は朝一の新幹線で出て、最終で帰ってくるということを繰り返し、

時には山形や鹿児島でも日帰りで行って仕事をしていた。

海外にも台湾や韓国、中国にも行った。

次第に任される仕事も大きくなり、役員から直接会社の命運を左右されるようなプロジェクトにも

参加していった。

30代までは本当に自信に満ち溢れていた。

『営業力は誰にも負けない!』

そんな自負もあったから、自殺した先輩にも目を付けられた。

病気になってからも数年は

『あのステージにもう一度戻りたい…』

という思いもあった。

だが、現実は前途した通り​​。

一度、そのステージから降りたら、そんな簡単には戻れない。

それはこの20年で嫌と言うほど分かった。




4月から転職した会社の環境は本当にとても良い。

毎日仕事に行くのが楽しいくらい。

それだけ、関わる人には恵まれている。

若い会社だから、中心は30代前半の人達。

決して、大きなお金を動かせる訳じゃないけど、そんなことはどうでもいいし、肩書もいらない。

私は黒子に徹しようと思った。

新しい拠点のオープンのための準備や新規開拓、それに同期で入社した22歳の女の子の教育係。

今の私には十分すぎるステージ。

主役はあくまでも若い人たちでいい。

私は年を取り過ぎた。

だけど、毎日若い人たちにいい刺激を貰っている。

とても有難いことだ。

思ったんだ、私は上を目指すのではなく、いつまでも現場主義で、プレーヤーに徹したいって。

管理職はそれに適した人が居るし、私はその器がない。

何か今のポジションにいて、大学卒業して社会に出たばかりのワクワク感が今蘇ってきた。

忘れたものを取り戻させてくれた気がした。

だから、私にできること、それは経験と知識。

それを最大限に活かして、貢献出来たらッて思える。

今の会社は本当に"one team"って言葉がよく似合う、素敵な会社だ。

そして、腐っていた私に少しだけでも、前向きな思考にさせてくれた人達に感謝…






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Last updated  Apr 26, 2020 04:04:45 AM
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