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カテゴリ:一族
今日は、義父の火葬の日。
髪型に不満はあるが、しょうがない。(昨日の日記参照) 早起きして、斎場へ向かう。 義父が他界したのは2003年9月18日。享年74才。 それから約2年なので予定より早い火葬だ。 私が言うのも何だが、義父は何事にも几帳面な人で、 生涯、探し物とは無縁の生活を送ってきた。 2か月程の入院を経て他界したが、 例えば、年金の手続に必要な書類はどこにあるか、どの印鑑を使うのか、 病院のベッドの上からの指示でも、それらは間違いなくそこに存在した。 時間にも正確だったそうだ。 提出期限のある書類などは、必ず初日に提出するのを良しとしていた。 約束の時間には遅れた試しがない。 現役時代は、始業の1時間前には出社し、 会社の水と電気を使って身だしなみを整えた。 (↑これは単なるケチ) そんな義父が、自分の最期のために用意したのが、献体。 そして、無葬儀、合同墓地への埋葬という遺言。 「父は現実主義者で、『人間は死んだらそれでおしまい。 死後に供養してもらっても、死んだこっちには何にも分からない。』 と常々言っていた」と夫ぶーは言う。 私も「死後の世界はない」と思っている。 宗教的な催しは、死んだ人のためと言うよりは、 生きている我々の気休めというか自己満足のために行っているものと思う。 だから、献体の動機について、今まではその言葉通りに受け取っていた。 ところで、義父は障害者だった。 ほとんどの日常生活に支障はないのだが、時折、 どうしても人の手を借りなくてはならない時があった。 介助する家族は、それは当然のこととして気にも留めていなかっただろう。 また「家族」という気安さから、 「まったくお父さんは手がかかる」みたいな発言や態度が 時にはあったかもしれない。 もしかしたら、義父には、 それがちょっと引け目に感じていたのかもしれないなぁ、と この日記を書こうとして思いあたった。 もちろん、そんなそぶりは微塵も見せなかったけれど。 宗教的行事は無意味であるという自分の主張の実践はもちろん、 生前、世話になったので、自分の死後まで家族の手を煩わせたくない、 という思いやりと、ちょっとした意地が 献体・無葬儀を選ばせたのではないだろうか。 実際、用意周到な義父は、自分の死後の手続一覧表まで作っていた。 最後の1か月ぐらいは義父の意識も混濁しており、 まともに話すこともできなかったが、 他界後、義母達はその表に基づいて手続きをし、 困惑するようなことはなかったのである。 また、入院期間も2か月と長すぎず短すぎずで、 家族には「看病した」という適度な満足感がある。 (これが短いと「十分な看病もできず……」と後悔の念が残り、 長いと「○×▽◇●※▲□◎」という恨みの念が生じる) まったくこれほど天晴れな最期はあるまいと、 私は、本当に感心するのである。 (つづく) (めちゃくちゃ過去日記ですいません) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年09月08日 17時34分31秒
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