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カテゴリ:熊本探訪
そこに立つと、はるか悠久のロマンがよみがえる鞠智城跡。土塁(土砂を積み上げて築いた城壁)に守られた7世紀後半(約1,300年前)に大和朝廷によって築かれた山城です。 鞠智城は九州・大宰府を守る守るために大野城(福岡県)、基肄城(佐賀県)、金田城(長崎県)が造られましたが、鞠智城はこれらの城に食料や武器、兵士などを補給する支援基地であったといわれています。 T 鼓楼と米倉。鼓楼の大きさは建物左手に親子連れの姿と比べて頂くと大きさがわかるかと思います。 鼓楼(ころう)は最上階の三層目に置いた太鼓で城内に合図し、時間を知らせたり、見張りの役目を果たしていたといわれています。 鼓楼の一階の基礎の柱。一層目49本、二層目と三層目は16本ずつの柱で建てられているそうです。建物高さ15.9メートル、瓦の総重量は76tあるそうで復元された建物です。 米倉 米倉にはネズミ返し(ネズミが上がってこないようにした工夫)が施されています。斜めになった部分。 兵舎 礎石 貯水池跡 灰塚という城内で一番高いところから見た山鹿市方面。 櫨(ハゼ)の木の向こう側に南側土塁線があります。 食堂と物産館が入った長者館 長者館で頂いた、だご汁。ここの、だご汁には里芋を潰して丸め、それを小麦粉の皮でくるんだ変わった芋団子が入っていました。 さて、ここ鞠智城跡に立ち、1,300年前の城内の暮らしはどうだったのだろうか、城内では規律正しい日々が過ぎていたかも知れないと思いを巡らせることができただけでも楽しい、ひと時となりました。
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最終更新日
2019.03.04 05:20:27
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