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小春日和の朝

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2008.03.17
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カテゴリ:日記

 今、花粉症の人は大変らしい。大変らしいとは申し訳ないが私にとって
花粉症は無縁だからである。

 幼い頃(昭和30年代初め)、私が生まれ育った田舎では炊飯をはじめ、
風呂を沸かすにも薪であった。
 その薪を入手するため、母は杉の林が伐採された山に行っていた。
幼い私は頼りがないけれども母の小さな用心棒であった。

 私は母が鉈(ナタ)をふるって小枝を取っている間に植物を観察したり、
昆虫を見つけては遊んだりしていた。
 その伐採されたあとには、また、杉や檜が植林された。今、その杉や
檜が大きくなり花粉を撒き散らしている。
 
 その花粉のせいで周囲にはたくさんの花粉症の人がいる。我が家では
長男。皆、マスクをしたり、鼻をグスグス言わせたりして大変である。

中学生の頃は小遣い銭かせぎとして檜の実ちぎり、山菜(石蕗)を取り
売るようなこともしていた。今でこそ山に入ることはないが、当時(小中学生の頃)
は山は生活の一部であったように記憶している。

 小中学生の頃には周囲に花粉症の人はいなかった。植林されたばかりで
樹木が小さいかったため飛散する花粉の量が少なかったからかも知れない。

 実家には植林して40年近くになる檜の山がある。山の頂上付近にあるため
植林したあとに一度も行ったことがない。相当大きくなっていると思われるの
だが、山から伐採した樹木を出すには数キロの林道を造らなければならない。
 林道造成費用は一軒ではどうすることもできない多額の費用である。
安い外国材の輸入、国内林は多額の伐採運搬費用などがかかり高い木材
となる。
 伐採されずに大きくなった杉や檜は毎年、多量の花粉を撒き散らしている。
花粉症の裏側にはそんな事情もある。

 
 






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最終更新日  2008.03.18 05:03:08
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