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小春日和の朝

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2013.01.28
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カテゴリ:日記

兼業農家だった我が家。

父は会社に勤めながら米、ミカンを栽培していました。

日が長い夏の日は会社へ出勤する前に、また帰宅してからも農作業をしていました。

そんなに働く人は父ばかりではなく周囲の人が殆どそうでした。

母の楽しみは野菜栽培。

野菜たちに与える化成肥料の窒素、燐酸、カリの配合も知らない、

長年の経験に頼った農業でした。

そんな農業でしたが、白菜、キャベツ、ほうれん草をはじめ、

いろいろな野菜を作っていました。

そして食卓で食べきれないものは市場へ出荷していました。

まだ夜も明けぬうちに、集荷のために市場の車が地区を回っていました。

自宅前でコンテナに野菜を入れて置くと勝手に積んで行ってくれるのです。

その日の競りにかけられた野菜の代金は翌日、茶封筒に入れて

車で
集荷に来る人が持ってきて手渡すという仕組みでした。

茶封筒をもらうためには、毎朝、道路に立つ必要がありました。

母が用事で我が家の入り口の道路に立てないときには

「市場の車が来るから起きて」と、眠たいところをたたき起こされたものです。

母は、茶封筒をもらうと早速封を切り、中身を確認していました。

自分の思った金額より多いと喜び、少ないとガッカリしていました。

こんなこともありました。

ピーマンを百個くらい出したとき、競り落とされた収入はたったの98円。

その時ばかりは「百姓をバカにするな」と激怒しました。

時代は私が中高生の頃の40年以上も前のことですが、

今でも茶封筒を手にしたときの母の顔が忘れられません。

母は一昨年、92歳で他界いたしました。

 






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最終更新日  2013.01.28 10:56:30
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