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カテゴリ:日記
店先には黄色く色づいた金柑が並ぶ季節となりました。 立派な金柑を一昨日、料理教室に参加されている方から頂きました。 キンカンは私の小学生時代の仇名でした。 当時、全校生徒160人前後の小さな小学校、 最初にキンカンという仇名を誰が私につけたのかは今でも不明です。 「キンカン遊ぼ!」と近くに住む下級生たちがよく訪ねてきました。 そのような小学生時代は昭和32年からの6年間。 発展途上の日本、まだ豊かではない時代でした。 小学校と自宅の距離は約800メートル。 春、 ランドセルを田んぼに放り投げ、レンゲ畑に大の字になり空を眺め、 麦の穂が出る季節には病気にかかった穂を抜いて麦笛を吹きながら帰ったあの時。 夏、 川では竹ヒゴの先に付けた大きな釣り針にミミズを餌さに鰻の石垣穴漁。 秋、 日曜日、山に入って竹や木々の枝や葉を使っての棲家づくり、 そして鳥を捕るための罠づくり。 冬、 雪が積もった日には体育の授業だったのか近くの山に入って雪合戦。
夜の学校には映画が回ってきていました。 木造のオンボロ校舎は廊下に殺到した人たちの重みに耐えられず、 床が落ちてしまったこともありました。 二年生の頃だったと思いますが「第五福竜丸」が被爆したときの映画は 今でも忘れられません。 私の心のベースとなる部分はあの時代に作られたような気がしています。 金柑を食べ、その甘酸っぱさは、 遠い昔、いい時代を過ごさせてもらったなあと思い出させてくれました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013.03.02 21:43:49
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