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カテゴリ:その他
ようやく爽やかに晴れ上がった4連休最終日。
3月に亡くなった旧友の実家へお線香を上げに、九十九里まで行ってきた。 友達が遺影になるのは初めての体験。 こんなにせつないことはないね。 知り合ったのは私が23歳で、バリ島に一人旅をした時。 偶然知り合い意気投合した男女8人、帰国してからも集まるようになって、 私と弟の住む部屋がたまり場と化して、ほぼ毎週誰かしら複数が泊まっていた。 みんな独身で半分は大学生で自由だった。 アウトドア好きで、エキセントリックな子や芸術肌、それぞれキャラが立っていて 一緒に過ごすと色んな事があった。 雪山で吹雪に合い遭難しかけたこともあった。 早朝の美ヶ原高原でガス欠になりかけ、くだり坂をニュートラルで走りながら スタンドを探して開店まで待ったこともあった。 海辺で一晩中焚き火しながら野宿して、朝起きたら炭で真っ黒になってる奴もいた。 TDLのスペースマウンテンに誰が一番繰り返し乗り続けられるかってのもあった。 みんな若くてアホなことばかりしてたけど、 ただ一緒にいるだけで、得難い面白さが転がっていた。 だから思い出も多すぎて、そのどれもが濃すぎて、思い出すのが苦しい。 中でも亡くなった友達は一番元気で、 私は家も近くて特に仲良くて、 他に誰も来なくても二人でよく遊んでいたんだけど、 ある時ケンカ、というか、傷つけ合ってしまい、 それきり合うのを避けているうちに転勤で遠くへ行ってしまった。 それから皆それぞれに家庭を持ち、集まることも激減して、 何年ぶりに集まったときには彼は写真の中だなんて。 享年40。 突然の心筋梗塞で、あっという間に奥さんと3人の子を残して旅立ったそうだ。 体育会サッカー部だった彼は、オジサンになってもずっと続けていたらしく、 健康には人一倍気を使い、人間ドックでは常に社内で一番の健康体だったらしい。 誰もが信じられなかった彼の突然死。 こんなことなら、もっと前に修復しておくんだった。 陽の当たるお墓の前で、ごめんなさいを心の中で繰り返した。 許してもらえたか分からないことがすごく悔しい。 それぞれが後悔の念を抱くほど、みんなも彼と合うのは久しぶりだった。 人の命ははかない。 けれども生きている時には、いつも次があると普通に信じてる。 こんな後悔をしない生き方がしたい、と真剣に思った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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