ボードレールの詩とロダンの彫刻
130126土曜日。 国立西洋美術館で「手の痕跡 国立西洋美術館所蔵作品を中心としたロダンとブールデルの彫刻と素描」を観覧した。年初に1度立ち寄っているが知人から招待券を頂戴したこともあり再訪してみた。 彫刻は好きなので2度目でも楽しい。いやむしろ1度見ていることによる安心感が出てくると言うべきか。落ち着いて見ることができる。 あるブロンズ像の近くで立ち止まった。両膝を曲げて屈み込んだ体勢の女性を筋骨逞しい男性が高々と持ち上げている。不自然な情景だと思いつつ眺める。男性像の足下に何か文字が書いてあることに気付いた。“Je suis belle…”という書き出し。署名や献辞として考えるにはあまりにも多すぎる語量。どうやら文章になっている様子だ。何だろう。特に解説は添えられていない。作品のタイトル『私は美しい』が掲げられているのみ。 ポケットからスマートフォンを取り出す。“je suis belle”と入力して検索してみる。すぐにわかった。ボードレール『悪の華』のうちの1篇だ。“je suis belle, ô mortels! comme un rêve de pierre,…”スマートフォンの文字列とブロンズの文字列を見比べる。やや読みづらい筆跡も整理されたフォントになれば良くわかる。 おや?私の目はある部分で止まった。スマートフォンの文字列とブロンズの文字列とで違いがある。ボードレールの詩で“Eternel et muet”となっている部分がロダンの彫刻では“Etincelant muet”になっているのだ。 この差異の直前に「un amour」がある。「un amour eternel et muet」であれば「永遠で無言の愛」の意となろう。「un amour etincelant muet」であれば「燦然たる無言の愛」の意となろう。 書き換えられている。誰が?いつ?どのように?何かを意図しているのだろうか? 130127日曜日。 自宅のPCで検索する。「rodin je suis belle」「rodin baudelaire」「rodin je suis belle etincelant」「rodin eternel etincelant」。思い付く限りの検索ワードを並べてみる。途上で世界に数体あるロダンの『私は美しい』に遭遇する。しかしながら自分の疑問を解消してくれるような答えは一つもない。 国立西洋美術館へ『私は美しい』に関する質問のメールを書くことにした。 130130水曜日。 国立西洋美術館からメールへの返信が届いた。大変丁寧で親切な文面だ。拝読し嬉しく感じた。末筆に「この変更が誰によって、いつ行われたかということについては、今のところ不明です。」とあった。 妙な爽快感である。所蔵する美術館でさえ不明なことが私にわかるはずがない。スマートフォンやPCの普及で情報に接触しやすくなり何でも検索すれば答えを得られるかのような現代。しかし本当は不明なことが山のようにあるのだ。