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テーマ:着物(543)
カテゴリ:きものとわたし
ここ数日、いろいろ忙しい。 車や自転車で移動など、それに合わせてどうしても、パンツ姿のラフラフの格好。 今月わたし自身は、まだ一度も着物に袖を通していない、とはたと気づく。 残念。 でも、日常に着物を取り入れる判断にはTPOも大切。
さて、国をあげての(といっても、国会議員だけかしら)クールビズ推奨活動。 この夏、普及に至るのか、ネクタイ業界の反論があったり、賛否両論。 私見で言うと、エコロジー・環境問題の観点からいうと賛成。 でも、ファッションというより「装い」の観点では、なんともいえない。 普段から、カジュアルな格好が好きなわたし。 でも「しかるべき場所には、ネクタイ」という慣習もちゃんと残ってもらいたいな、とも思う。 「しかるべき場所」とか「相手」「TPO」の判断はは着る人に委ねられるけど。 ネクタイのあの柄や意匠にも、着物の染めや織りに近い文化を感じているのです。 着物を始めて知ったこと。 それは「着物の格」の世界。 勿論、格式ある場所(あら、ここでも「格」の字)に、ちゃらんぽらんな格好(と、また「格」の字)で出かけると、先方に対して失礼、場の雰囲気を壊す、自分が恥を格(もとい!)、恥をかく、ことは重々承知だったけれど。 着物の「格」の世界はとっても不思議。 未婚や既婚、身内・主催者、お客様まで、格好で判断がつくのだもの。 でも、とっても理にかなっているとも思うし、ある種、分かりやすいルールだと思う。 先日の二子山親方の葬儀での藤田憲子さんの、お通夜と告別式の着物は非常に参考になるものだった。彼女の置かれている立場が表現されているのだもの。 けれど、「格=常識」に縛られちゃうと、「装う」ことに戸惑ったり、形式だけの格好になっちゃうし。 ファッションの先進国イタリアに少しばかりでも滞在した経験から、またイタリアの会社やブランドのインポーターで働いたことから、思うこと。 ファッション、つまり「装い」は「文化」だし「装いは体を使った自己表現」、「装いは強制されるものはない」と思う。 大前提は清潔であること、本人に似合っていること、TPOにかなっていることの3つ、かなぁ? 「格」イコール「(西洋ファッション発想)ドレスコード」でもないし。 それとファッション(装い)とユニフォーム(制服)は別のもの。 装いは個人、制服は組織だし。 コマーシャル撮影に使われたANAの制服が盗難にあった事件。 「制服好き・マニア(特に女性の職業)現象」ぽくって興味深い。 ホームステイ先の娘に訊かれたっけ。 「ともみ、日本人って、制服が好きなんでしょ。」と。 発想が発展家さん、且つ天然なボケのわたしは 「そーなのよ、なんか、スチュワーデスやナースの制服が好きな男のためのイカガワシイ商売もあってね~。」と答えたら、イタリア娘の目は点になっていた…。 彼女は、いわゆる「制服=組織」としての一般論としての「日本人は制服好き」を真面目に知りたかったらしい。 クールビズもファッションも着物の格も、電車の「女性専用車両」の賛否両論のように難しいですよね…(と逃げる) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.06.11 22:39:56
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