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テーマ:着物(543)
カテゴリ:きものとわたし
昨晩、「元彼」に電話をかけてしまいました。
その人は、わたしの、「きものを始めるキッカケ」をくれた人です。 仕事のこと、家族のこと、自分ではどう動き様もないことがあって、 溜まっている感情をどうしてよいかわからず、 反射的に、消せずにいた携帯電話帳から、発信していました。 3回コールして、我に返りました。 「でるわけ、ないか…」 深夜だったし、発信元もみるだろうし、 と、思った瞬間、応答ありました。 久しぶりに聞く声。 寝ていたこと、ロンドン帰りで時差ぼけのこと、 2、3言葉を交わし、彼から 「仕事、どうなの?」と訊かれ、 わたしは、声をだして、おんおん泣いてしまいました。 なんだかもう、滅茶苦茶でした。 彼の仕事のことを訊きました。 「なんとか、まわっているよ。」と。 優しいウソなのか、今も「一人」といい、 「誰か好きな人はいるの?」と訊かれました。 わたしは 「誰もいない。」と答えました。 5分ぐらい話し、相手は寝ぼけているし、 わたしも「フツー」ではなかったので、 何となく、会話はフェイドアウトし、 わたしから電話を切りました。 いい迷惑な話だと思うのです、相手にしてみれば。 こういうわたしを「自己反省」し、 あの人に感謝しました。 いろいろあったけれど、 中でも 具体的に彼がわたし残していったもの、 といえば「キモノ」(のこと)でした。 買ってもらったとか、 その人が「呉服屋の旦那」とか (事実だったら、かなりヘビーなわたしの着物歴かも…)、 そういうことでなく、 今のわたしに影響を与えているものとして。 「キモノ」って、身に付けるものだし、 洋服とちがって、 衣服として「思い出を紡ぎだす」チカラ (母の思い出のキモノ、とか、着た場面、TPOが刷り込まれる) があるので、よくも、悪くも、なんであれ、凄いと思う。 一夜あけて、そんなことを思いました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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