カテゴリ:ひとりごと
通勤途中のアーケードのなかにペットショップがオープンしていた。
最近のペットショップは深夜まで営業しているようだ。 私が帰宅する21時~22時くらいまでも まだ開いていて おまけに生体の商談にはいっている人が結構いる。 そしてそれは 平日は半分以上 女性の1人客なのだ。 え?ひとりで飼うの? と ついついたずねてみたくなる。 実家では、気づいてみたら もう20年以上 わんこと暮らしている。 初代 たけし(シェルティ) 2代目 僕(シェルティ) 3代目 げんき(パピヨン) 最初に飼ったときは 母もまだ働いており、家に一番に帰るのは私のことが 多かった。 初代 『たけし』は 父の職場の方の親戚の家で生まれた子だった。 当時は シェルティが大人気だったはずなのだが なんとやつはカステラ一折と 交換でこいちゃん家に貰われてきた。 埼玉の農家の庭でどろんこだった 『たけし』であるが コロコロと肥えており しばらくは 純正なシェルティではないのでは?と疑ったものだった。 最初は母犬を恋しがって くぅくぅ鳴くものだから 普段は苦い顔をした 父が しばらく夜は一緒に休んでいた。これにはこいちゃん家の女たちは 吃驚したものだった。動物が嫌いでないのはわかっていたが なにかと 感情表現(愛情表現)が ものすごーく苦手で 優しい物言いはできないし 本人的には ちょっとひょうきんなことを言おうとして セクハラ表現になり こいちゃん姉妹に冷たい目で見られていた。 犬というには その家の主人がわかるらしい。 普段はなーんにもしてくれない父なのに『たけし』はやっぱり 父のことが 大好きだった。 酔って帰ってくる父の足音を聞き分けて、3~4分前から玄関で待っているのだった。 そして 父と『たけし』との語らいが始まる。 「今日は何してたんでちゅかー?」 (なぜ あかちゃん語??) 2人にしか理解できない濃厚な時間だったはず。 12歳で亡くなったとき リンパに腫瘍ができて ごはんも水ものどを通らなくなったけれど 誰かがそばにいくと 目をうっすらと 開いてしっぽを弱々しく動かすのがつらかった。 やはり 最後に一緒にいたのは父だった。 2代目の『僕』は 結果として先天性の脳の病気があったらしく 短命であった。 父を亡くして しょんぼりしていた母がやっと元気になった頃 静かに旅立っていった。 私は『僕』と過ごした時間が短いので よく『たけし』と混同した。 入院中 父は『僕』に会いたかったようで その気持ちが伝わったのか 一時退院したときは ずっと父のそばでじっとしていた。 ちゃーんと 母のことも見守ってから 眠った『僕』にもとても感謝をしている。 愛情をそそいだ子は 守られるだけじゃなく 飼い主を守ってくれているんだなあと その時 思った。 とーさんも かーさんも もう大丈夫だなあと思ったから 安心して逝くんだと 思う。 お互いが感謝の気持ちをもって 共存できることは幸せなことだと思う。 そして 家族が 同じ気持ちをもって わんこのことを気遣ったり わんこを中心に生活が回転したりするのも オトナばかりの家族になってしまうと とても重要だった。 夜半のペットショップの明るすぎる店内の硝子ケースのなかで 目やにをつけたまま 疲れて眠る犬や猫たちを見て ちょっと悲しくなって 目をそむけてしまうことがある。 はやく里親がみつかると いいな、いい人に飼ってもらえるといいな、どうか 元気で いてね。 本当は私自身も いつかは犬と暮らす生活を望んでいる。 生活環境や家族体系が整わないと難しいけれど。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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