昨日実家へ寄った際、懐かしいものを持ち帰ってきました。
私が小学校1・2年の時のテスト、文集、通信簿、工作、学級通信や入学時に祖母からいただいたお祝い金の袋まで。
大きな紙袋にたくさん。
猫一族?のイラスト。
懐かしい気持ちいっぱいで眺めていたのですが
現在の私の礎は確実にこの頃から、と思わせるものばかり。
2年生のひまわりノート。理科ですね。
ひまわりだけでなく、色々な花の種を蒔き成長を見守ります。
まずは種の観察から。「ほうせんか」と「おしろいばな」の種のページ。
おしろいばなのたね。
「なんか、上のほうが、とんがっている。」だって。
「なんか」って・・・・先生も優しすぎます。これで「はなまる」です。
葉の観察。
ふたばとほんばの違い。
ふたば・・・・つるつるです。
ほんば・・・・がさがさです。
これでも「はなまる」なのか。
がさがさって・・・。
芽が出てしばらく経った頃。
「ずーっとみていなかったので大きくなっていました。」だと!
そりゃ当たり前だ。ずっと見ていなかったのだもの。
もっと愛情を持って、毎日ワクワク観察して欲しいものです。
ほんば(本葉)19枚。
「そんなに大きくならないからがっかりした。」
ずっと見ていなかったくせに、この頃は改心し大きくなるのを心待ちにしていたのでしょうか。
落胆ぶりが現れているためか、絵も字も投げやりです。
芽の様子だけでなく自分の気持ちをそのまま書いております。
国語の漢字練習。
自分で考えた「冬」の例文で吹きだしました。
冬は、さむぃよう。
算数のテスト。
終わって時間があったのか、自分で問題を作っています。
「2年生には300にんせいとがいますが、
25人きょうやすみました。
きょういるせいとはなん人?」
300-25=215
自ら作成の問題を見事に間違え、先生に275と訂正されています。
こんな落書きにも優しく目を通してくれた松下先生。
尊敬します。
変なイラストも。
別のテストでは名前書き忘れ。
「ごんべいさん」とナイスフォローの松下先生。
極めつけは通信簿。
1年生の1学期、のっけから・・・・
「私語が目立ちました。」
卒園してすぐの1学期。
少しくらいのやんちゃは見逃してくれるはずです。
これは相当やかましかったということではないでしょうか。
お恥ずかしい限りです。
最後に自作の物語。意味不明です。
藁半紙の物語。
白いふうせんは、町へとんでいきました。そして、町の子どもが、ひろいました。その子の名まえは、(まい子)と、いう名まえでした。ふうせんは、その子の、いえの、にわへ、下りたのです。お花の、たねは、すみれでした。
(注:風船に種がついていたらしい。その後芽が出ます)
かだんには、すみれのめがでていたのでした。そのめはのびました。そして、すみれの花をさかせました。むらさきのきれいな花でした。まい子は、「きれいだな。」と、うれしそうなこえでいいました。つぎの日も、さきました。かだんが、みえなくなりました。でも、ポチが、かじくりまわすので、花は、だめに、なりそうに、なりました。でもどんどんめはでました。
(その後、秋になり花は枯れてしまう。しかしぽつんとひとつだけ芽が。お父さんもお母さんもポチもびっくり。家族総出で喜ぶ中、すみれの花が咲く)
すみれのはなは、すごくみたことも、ないくらい、きれいだったのです。みんなみんな、おどろいてしまいました。となりの人も、みにくるように、なりました。となりのひとでも、これはめずらしい。すごいすごい。とよろこびました。となりのひとじゃなく、うらの人もみにきたのですが、だんだんかれて、かれて、かれて、きました。みにくる人もすくなくなりました。きれいなすみれのはなは、とうとうかれてしまう。とまい子は、おもいました。
とうとうすみれのはなは、かれました。でも、まい子は、「まだまだ、さくんだ。たくさんたくさん、さくんだ。」と、「いつまでも、いつまでも、さくんだ。ふゆだけど、さくんだよ。」とまい子は、かなしそうな、めつきで、かれた、すみれの、はなを、ちらりとみました。でもさきませんでした。つぎの年、まい子は、すみれの花の、たねを、かいました。そして、また、かだんに、たねを、まきました。また、いっぱいいっぱい花がさきました。(おわり)
「もう駄目かと思ったすみれの花が咲く」という劇的な展開はありません。
悲しい目つきで花を見やった描写が笑えます。
そして次の年は自ら種を購入。
ファンタジー小説かと思いきや、最後は「期待ばかりしてないで自分で買えよ」という教訓つきでした。
思い出をたくさん保存しておいてくれた母に感謝。
実家にいる「マリンちゃん」です。