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テーマ:東京都下/西東京(102)
カテゴリ:日野のこと
当初、浜松でのフェレットショーへ出かけようかと
結局、新幹線に乗るまでが大変なので諦めました。 普段お会いできない近畿地方の方々とご対面したかったのだけど。 そして何はともあれ「新選組まつり」です。 去年は日野駅周辺をウロウロしただけでした。 今年はウォーキングに参加するか、隊士パレードを追っかけるか 気ままに資料館などを巡るか考えましたが、 午前10時、高幡不動尊出発のパレードと、 午後の日野駅前から日野市役所までのパレードを中心に まつり見物をすることに。 自宅を出るのが遅くなってしまったため、 丁度やってきたバスに乗って、直接高幡不動まで行きました。 この頃は傘が必要だったので、中止ではないかと心配。 10時前には到着。しかし、高幡地区のパレードは中止とのことでした。 パフォーマンスは行われているという案内があったので 高幡不動尊へ向かいました。 やってますやってます。 熱心なファンに囲まれて撮影会。 先日の味の素スタジアムで見かけた「ヒデコス」な方々も 気合入っていましたが、 新選組関連の皆さんだって負けていません。 撮らせてください!とお願いしました。 歴史がわからないので、どの様な方達なのかはちょっと・・。 とりあえずカッコいいです。 観ている側だけが写真を撮るのではなく、 参加者同士の交流もあって楽しそうでした。 ↑チャーミングな会津藩奴隊のメンバーさん。 赤いお顔で、小さな子に怖がられていました。 高幡不動尊では、しばし皆さんの様子をカメラに納め お腹が空いたので参道にある「開運そば」でおそばを食べてから 日野駅へ移動しました。 小雨になっていたけど、かなり冷える。 先週、甲州街道を歩いたこともあって 甲州道中日野宿の歴史を紹介している 「日野宿交流館」へ立ち寄りました。 以下、日野宿交流館のパンフレットより 甲州道中は、江戸日本橋を基点に甲府を経て下諏訪に至る街道で、東海道、中山道、日光道中、奥州道中と共に五街道と呼ばれた。距離は55里(約216km)で、45の宿場があった。 日野宿は府中宿と横山(八王子)宿の間に位置し、江戸日本橋からおよそ10里(39.3km)の距離にあった。規模の大きい八王子宿や府中宿の間にあったため、宿泊よりも休憩の旅人が多かったと考えられている。 日野宿の街並みは東西に9町(約1km)ほどで、東から下宿、中宿、上宿に分かれていた。宿場の両端には境界を守る地蔵尊が祀られていた。天保14年(1843)の人口は1566人、家数は423軒で、20軒の旅籠があった。 ううむ。全長216km。 当たり前だけど、この距離を踏破するにはやっぱり宿が必要だよね、と思う・・・。 日野宿交流館は小さな資料館だけど、 日野渡船場で使われていた渡船賃入れなどが展示されていて 昔の人びとが旅する様子を想像。ワクワクしてきました。 ということで、道挟んで向かいの「日野宿本陣」へ。 日野市指定文化財の「日野宿本陣」。 甲州道中で現存する本陣建物は、他に2つしかないそうです。 東京都内では唯一のものです。 道場があり、近藤勇、土方歳三、沖田総司らが稽古に励みました。 で、建物の中に「歳三が夕涼みをしたといわれる部屋」があるのですが 実際に寝転がって記念写真をする若い女性が多かったです。 写真を撮ってこられませんでしたが ガイドの方が説明してくださった「釘隠し」。 大きな釘の頭を隠すための化粧金具だそうですが コウモリやウサギの形でとてもお洒落でした。 凝ったお部屋もあって、歴史ある建物というだけでなく 「しゃれたところ」なので、訪れたことの無い方は是非。 後編へ続く。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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