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画像は「ノーモア ヒロシマ・ナガサキ」という 原爆写真集に載っている版画です。 (作者は版画家 秀島由己男氏) 広島の上空で原爆が炸裂して、63年が経ちました。 たった63年前の出来事です。 被爆者の方々が高齢化しても、 直接叫びが届く時代に私たちは生きているのです。 今日は未明からNHKの特別番組 「ヒバクシャからの手紙」を観ました。 どれも壮絶な体験を綴ったものが紹介されていましたが、 中でも母親を目の前で亡くされた男性が お母さん宛てに書いた手紙は残酷で悲しいものでした。 いつも優しかった母。 あの日、爆風で吹き飛ばされ家屋の下敷きになった 子供の力では瓦礫は重たく助けることができない やがて迫り来る火の手 「逃げなさい」と言った母に 「お父さんのところへ先に行っていてね 僕も敵に体当たりして逝くよ」 そして「妹を立派にお嫁にいかせるから」 後を追うと言っておきながら矛盾した言葉をかけてしまったこと 燃え盛る火の中で般若心経を唱えながら 死んでいった母を、 自分はどうすることも出来ず でも今も自分は生き長らえているのにと… 苦しみ抜いて生きる被爆者の、お母さんへひたすら謝罪し語りかける、優しく悲しい手紙でした。 最後にこちらも原爆写真集に載っている、 詩人の栗原貞子さんの詩をご紹介します。 「生ましめんかな」 こわれたビルディングの地下室の夜だった。 原子爆弾の負傷者たちは ローソク一本ない暗い地下室を うずめて、いっぱいだった。 生ぐさい血の匂い、死臭。 汗くさい人いきれ、うめきごえ その中から不思議な声が聞こえて来た。 「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。 この地獄の底のような地下室で 今、若い女が産気づいているのだ。 マッチ一本ないくらがりで どうしたらいいのだろう 人々は自分の痛みを忘れて気づかった。 と、「私が産婆です、私が生ませましょう」 と言ったのは さっきまでうめいていた重傷者だ。 かくてくらがりの地獄の底で 新しい生命は生まれた。 かくてあかつきを待たず産婆は 血まみれのまま死んだ。 生ましめんかな 生ましめんかな 己が命捨つとも 9日は長崎の日 少しでも平和について考える日にしようと思っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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