テーマ:中学校って・・・(602)
カテゴリ:入試
内申点、内申点、といいますが、内申点の基本思想は「努力したけれど本番に弱い子供の救済」です。
統制が目的ではなく、救済が目的なんです。 だから、内申をつける際に最も重視されるのは学力ではなく、努力ということになります。 努力を計るのは大変難しい。誰もが公平に神様のように心の動きを計れるわけではありません。ただの人間が努力を計るんです。 誰もが目に見えて公平で納得できる形。全員に同じ問題集を配って、同じペースで提出させるより他にやりようがありません。 家庭教師をやっていて、 「この子にこの問題集をやらせても、それ以前のことが理解できていないから、自力で解くのは不可能。」(←このケースが圧倒的に多いです) 「この子はこの問題集のレベルはクリアしているから、ただの作業になってしまって時間の無駄。」←少ないながら時々います。 というどちらかのケースが7-8割ですね。与えられた問題集がぴたりとはまるのは3割程度だと思います。 それでも大勢の一斉授業では真ん中を狙って問題集を与えるより他にやりようがない。 だから、ナンセンスに思える提出物が多量に出るんです。少量だと誰もがらくらくとこなしてしまって、評価ができませんから。 むしろ、学校の出す多量の提出物は少し手を抜いて、自分の弱点補強や長所強化にまわした方がいい子は沢山います。実際にそういう勉強をする子は少ないけどね。 ここまでは、誰もが思っていることかな。 ここからは学校の先生は絶対に言えない、本音トーク。 実は絶対評価で「到達点満点」と迷わずつけられる子供は多くて5%程度、クラスに一人か二人いるかどうかです。 それなのに、「絶対評価なら自分は(自分の子供は)到達点満点がついてもいい。少なくとも4/5はつくはず。」と思っている生徒さんや親御たちは半分以上います。「まさか、貴方までそんな甘いこと考えているの!」とびっくりするくらい自分には甘い。 このギャップは非常に大きい。 そして、まさか自分にそれだけしか力がないとは思わないで他に原因を探すことが多いです。 それでも、幻想でもいいから、中くらいや伸び悩んでいる子供も努力をさせたい、努力をしたらいいことがある、というメッセージを送るのが中学校の役目です。努力をしたら報われるという比較的公平な評価の最後の機会が中学校です。それに確かに書き写すだけでも、何もしないよりは学力がつくし。 ナンセンスに思える多量の提出物には、そういうメッセージも込められています。とにかく期日までに出して出して出しまくる。それについてこられる子供なら、努力点は満点をあげましょう。 「ほら、いいことあったでしょう?」 そして、ついてこられなくて、絶対評価が思わしくない子供にはきちんとした説明ができます。 「提出物の提出率が低いからね。」 実力不相応に思い上がっている子供にも説得ができます。 「実力が足りないんじゃない。努力が足りないんだよ。」 (あなたも努力すればいいことがあるよ。) だから、内申点の評価は学力ではなく努力につけられているんです。あくまで救済なので、実力は別。 矛盾はたくさんあるけれど、そこを深く掘り下げて考える真面目な先生は心が壊れます。大多数の先生は疑問を感じながら、諸事に忙殺されています。みんな、おかしいと思ってはいるんですよ。とくに内申を入試に使うことに関しては。 だって、本当は実社会はプロセスなんかあまり大事にしない。結果しか見ませんもの。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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