|
カテゴリ:カテゴリ未分類
私の知人に、趣味で古い着物を洋服に仕立て直す「着物リフォーム」をしている人がいる。
この人は私の母と同年代の六十代の女性。生地を求めてはリサイクル着物を扱っているお店に足しげく通っているらしい。また、着物リフォームをしていることを知った友人や親戚から、古い着物を譲り受けたりするのだが、「これ!」と思うものにはなかなかめぐり合えないらしい。
「人もそうなんだけど、物にも『出会い』があるのよ」
とのこと。そして、現代的な着物よりも、昔のものに惹かれることが多いと言う。例えば、どこかの大店の女将さんが特注で頼んだようなこだわりの一品とか。
「金糸や銀糸でさりげなく刺繍が施してあるんだけど、その糸もね、現代的な着物の金糸と違って深みがあってねぇ。」
そして、素敵な生地との出会いがあると、その昔、どんな人がこの着物を頼んだんだろうか、きっと粋な人だったんだろうな、とか、このデザインを描いた職人さんはどんな人だったんだろうか、などと思いを馳せるのもまた楽しいと言う。
いくつになっても、色んなことに挑戦したり、感動したり、想像をめぐらせたりできるということは、そのベースになる豊かな原風景を心に持っているからではないか。
物心ついて、自分というものが出来上がっていくまでに、見たり聞いたり感じたこと。
この私の知人と同じく、多趣味で、今まで色んなことをしてきた私の母も。
夏の日の夕方、家の前に縁台を出してお父さん(私の祖父)は近所のおじさんと将棋を指している。その周りで賑やかに遊んでいる子ども達。風鈴の音。行商の豆腐屋さん・・・
何でもない日常の一コマなんだけど、ふっと浮かぶときがあると言う。その時代を知らない私が聞いても、その時の音や匂いが伝わってくるようだ。
今の時代の子ども達はどうだろう。うちの子達の場合は・・・子ども時代が、本当に子どものためのものでありますように。漢字や計算の徹底反復か、テレビを見てゲームをした記憶しかないなんて寂しすぎる。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013年11月21日 12時28分19秒
コメント(0) | コメントを書く |