カンボジアで出会った「販売員のプロ」〜「ワタシ、カワイソウ」テク。
さて、いよいよ、今度はカンボジアで出会った「販売員のプロ」の紹介だよ。
いやぁ、彼女たちは、真に強者だった。
ベトナムはホーチミンで出会った「販売員のプロ」たちが持つ粘りに加え、特に日本人中高年男性が一般的に持つある気質に見事に訴えかける術(すべ)にも長けているのだから。
カンボジアのシェムリアップを観光したことがある人なら、かのアンコールワットを背景に日の出を見るオプションには、まず全員が参加されたことと思う。
絶景と呼んでさしつかえないほどの感動的な情景が眺められるのだ。
無人化した古代遺跡と、時を超えて永遠に登る太陽。
その瞬間をとらえた時、人は、生かされている感動と共に、それだからこその虚無を同時に感じる。
、、、なんて、文学的な感傷に、いつまでもひたっているわけにはいかない。
超絶的な光景にボーッとしている我々の間を、実は陽が登る前からファブリック見本帳をかかえて小ネズミのように小賢しくめぐり、抜け目なくショーバイを仕掛けてくる売り子(大半は若い女性。いや、本当は若くないのかも知れないが、カンボジアの女性は全般に小柄かつ細身で、目元がクリッとしているためか、多くの女性がパッと見は若く見える)の存在に、嫌でも現実に引き戻されるからである。
夫もつかまった。
見本帳を見せられた時点で相手にしなければよいものを、事実まったく関心がない観光客もいるだろうに、かつてテキスタイルデザイナーだった夫の過去が、そこでは裏目に出た。
元の職業柄、どうしても、色の組み合わせや図柄のバランスなどに興味を抱いてしまう習性が残っているのである。
そこを売り子が見逃すはずがない。
流れで何枚か買おうということになり、値段を尋ねると、高い。ディスカウント交渉をしたが、売り子は応じない。
「それなら、いらんわ」。
と、ここで、彼女はつぶらな瞳をさらに開き、真っ直ぐに、だが、すがるような視線で夫を見、片言の日本語で、
「ワタシ、カワイソウ」
と言ったとか。
うまいね。名演技だ。日本の中高年男性の特質を見抜き、そこに見事にアピールしている。
私も宣伝販売をしている過程で痛感しているけれど、日本のオジサンやオジイサンは、基本的に「オンナノコ」が好きだ。
バーやクラブで、若いホステスに、
「ねぇ、もう一杯水割りを頼んでぇ。アタシのために」
とか、
「フルーツバスケットもお願いしていいでしょ」
とか、甘い声でおねだりされ、
「ああ、エエよ、エエよ」
と外面ではニコニコしているオジサンやオジイサンが少なくないのも、この理由による。
私たちデモンストレーターだって、私みたいにトウがたった年齢になると難しいけれど、まあ、40代半ばくらいまでなら、この「ワタシ、カワイソウ」テクを使う人は、チョコチョコいるもんね。
「ノルマがあるんですぅ。達成出来ないと、私、社長に怒られて、クビになりますねん」。
オジサンやオジイサンは単純。
「嘘やろ」
とどこかで察していても、頼りにされた嬉しさか、つい
「よっしゃ。買うたるで」
となる。
これが日本のオジサンやオジイサンの、オーソドックス像。
だから、異国の見た目は二十歳前後の女性が
「ワタシ、カワイソウ」
と、瞳で哀願すれば
「若いのに、断っても粘るし、なかなか大した根性や。日本の同い年くらいの女の子にはチャラチャラしたのもおるのに、エラい違い。多分、決められた分を売らんかったら、雇い主に怒られるんやろうなあ、、、」
と、ホロっとした気持ちになり、
「そんなことなら、ま、人助けや思うて、一枚くらいは買うたろうかい」
との気持ちに変化していく。
一枚買うと、ああ、一枚ではすまないよ。
この「ワタシ、カワイソウ」にほだされ、カンボジアでも日本でもそれ以外の地でも、つい商品を購入してしまった中高年男性は、夫の他、義兄をはじめ、決して珍しくないみたいだね。
写真は、アンコールワットの日の出だよ。