病院の指示通りに食事制限した方が、実は死に際は苦しい?
「102歳のロビンソン・クルーソー」(渡久地政瀧 著)という本をご存知だろうか?
沖縄本島北部の半農半漁の村で、自給自足の一人暮らしを続ける102歳の政瀧じいさん(平成15年当時。現在も生存しているかどうかは不明)の日々の暮らしをえがいたドキュメンタリーである。
97歳でオカァ(奥さん)に死に別れた後は、掃除も食事の支度も洗濯も、すべて自分でこなす政瀧じいさん。
毎朝6時半頃に起きて自己流ラジオ体操をし、仏壇に手を合わせてから朝食を作って食べ、昼まで畑仕事。
自家製の野菜を使った昼食をとった後は昼寝。
目覚めると、また畑に出ることもあれば、新聞を読んだりテレビをみたりすることもあるし、町へ買い物に出ることも訪ねてきた人(訪問看護師)の相手をすることも。
夕方5時になると風呂に入り夕食をとって、趣味の三線を奏でて就眠。
政瀧じいさんの1日は、だいたいがこの繰り返しである。
「僕の暮らしはテーゲー(沖縄言葉で「適当に」とか「ほどほどに」とか、そんな意味)なもの」
と政瀧じいさん。
こだわらず、執着せず、怒らず、120歳まで生きてオカァが待つところに行きたいと望む。
「死に対する恐怖がないのは、老衰でやすらかに逝った母とオカァのおかげでしょう」。
つまり、政瀧じいさんのお母さんと奥さんは、少しも苦しまず、眠るようにスーッと亡くなり、看取った者たちは、
「ああ、天命だったな」
と思ったとか。
こんな最期を望んでいる人が、実は多いのではないか。
だから、友人のお父さんみたいに、医者の言いつけなどどこ吹く風とばかりに、「酒もタバコもやめず、食べたいものも好きなだけ食べる」生活をしていたら死ぬ時は、、、と、不安になってしまうのだ。
周りに迷惑をかけず、自分も楽に逝きたいのは、誰しも同じだからね。
「いやいや。病院に食事も含む生活をコントロールされ、薬漬けにされる方が、死に際は苦しい。お天道様は簡単にはお迎えに来てくれないよ」
とおっしゃる方もいるのだけれど、真偽はわからない。
なお、「102歳のロビンソン・クルーソー」は現在では絶版。ネット書店にも残っていない。
読まれたい方は、古本屋か図書館をチェックするしかなさそうだ。