「洞窟オジさん」(加村一馬 著)を読んで。
「こんな人生もあるのだ」。名前は忘れたけれど、某映画評論家が1973年公開の映画「パピヨン」のレビュー冒頭に書いた言葉。これを、そのまま、この本の冒頭に私的に捧げたい。終戦翌年の1946年8月末期に群馬県に生まれた、著者、加村一馬氏。都市、田舎を問わず、その日その日を生き延びることが精一杯だったあの時代、加村氏は頻繁に親、特に父親の虐待に見舞われた。毎食が「茶碗一杯の雑穀飯のみ」によるひもじさに耐えかね、きょうだいも含める他の家族の食べ物に手を出しただけで、今なら警察沙汰になるであろうほどの「お仕置き」を受けたのだ。「このままでは(親に)殺される」。危機を感じた一馬少年は、中学2年の夏、家にあった干し芋を学生カバンに入れ、あと、醤油、塩、ナタ、ナイフ、スコップ、砥石、マッチをたずさえ、家出。絶対に見つからない場所、すなわち、彼が社会科の授業で習っていた、山深い箇所にある鉱山の洞窟跡へと向かう。その途中、耳慣れた声が。可愛がっていた飼犬のシロが、家を去った一馬少年を慕い、微かな匂いを頼りに追って来たのだ。一馬少年は、シロを抱きしめ、「俺とお前はずっと一緒だ」(このシーンはウルウルもの)と感涙にむせぶ。やがて住めそうな洞窟を見つけ、望んだ2人(?)の生活が始まる、、、。テレビドラマにもなった、このノンフィクション。読んでいて、皮肉にも彼を虐待した父親に生活の中でいろいろと見せてもらったり、時に教えてもらったりしたことが、そのサバイバルライフを助けたことに気づかされた(昆虫や小動物の捕まえ方とか食べ方とか、枯れ木や藁を集めてねぐらを作る方法とか、焚き火のための着火剤代わりに松脂を使うとか)。人間関係の基本である両親の愛を得られなかった一馬少年は、かつて「お腹がすくより、猪に襲われるより、人間が怖い」と語っていたが、オカでの軽犯罪で捕まった後、諸々あって「1人じゃない」と実感し、現在では施設でブルーベリーを栽培している。その一馬少年こと令和の時代では加村翁の半世紀であり、サバイバル実話記。サバイバルの実務もイラスト付きで公開している。