"グッド・スピリッツ〜「いいちこ」と歩む"(西太一郎 聞書、本山友彦 著)
"グッド・スピリッツ〜「いいちこ」と歩む"(三和酒類会長 西太一郎聞書, 本山友彦 著)発売するや、「下町のナポレオン」のキャッチフレーズにふさわしい、清涼感がありながらコクのある香りと風味で従来の焼酎のイメージを大きく変え、焼酎ブームまで作ってしまった「いいちこ」。その「いいちこ」を製造販売する三和酒類の会長、西太一郎氏(2022年死去。現在では女婿の和紀氏が代表)が、まさに「いいちこ」と歩んだ人生を、造り酒屋の長男として生を受けた自身の生誕から語る。インタビュアーは、西日本新聞社支局勤務(当時)の本山友彦氏。西氏は昭和13年(1938年)生まれ。家業の関係で東京農業大学醸造学科に学び、卒業後は地元の三和酒類に入社。「生涯1営業マン」として、取締役就任後も一貫して営業畑を歩いてきた。時代の変化を受けて低迷状態になりつつあった地場メーカー清酒に見切りをつけた会社が目をつけたのが、焼酎。同じ大分にある競合会社が発売した麦焼酎の「二階堂」が人気を呼んでいたのだ。「これが焼酎なのか。焼酎独特の匂いがなく、酔い醒めもよい」。飲んでみた西氏ら経営陣トップ層は決断する。「うちでも作ろう。二階堂に勝るとも劣らない焼酎を」現在でも業界第2位のシェアを示すロングセラー商品、「いいちこ」の歴史は、ここから始まった、、、。西氏によると、「いいちこ」の開発は難航を極め、完成はほとんど奇跡というか、運によるものであったとか。もっとも、その後のネーミングも含めた一連のマーケティングや広告をはじめとする販促活動(セールス・プロモーション)は、知恵とアイディアを絞った、完全に人為的なもの。ここに、「運をつかむべく普段から五感を研ぎ澄まし、つかんだら意地でもそれを離さないことが成功の秘訣」とまでされる「商道」の随を見る気がする。なお、西氏のひそかな誇りは「人を殴ったことがないこと」(もちろん家族にも)なのだそうな。「イソップの童話、北風と太陽を例にとるなら、私は常に太陽でいたいと思ってきた」。彼の年代の営業マンとしたら、これは珍しいことでは?なぜなら、昔は営業マンは体育会系の人が多く、「若いもんは厳しく鍛えなアカン」と、ノルマが達成出来なかったり、上司と違う意見を口にする社員は、時に皆が見ている前で叱り飛ばされ、まあ殴られるほどではなくても「何や、お前の実績や態度は」と小突かれたりするのが一般的だったからだ。そこを、西氏は「相手の立場に配慮する太陽政策でしか人の気持ちは動かない。だから我が社は自社営業マンにはノルマも課していない」。わかるな。私のデモンストレーター業だって、現場に入った先で「売上売上」と過度にプレッシャーをかけられたら萎縮して思うようなパフォーマンスは不可能だから、けっきょく売上は伸びないもの。人間は、リラックスした状態にいてこそ、120%力を発揮できるものだ。