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今日は七夕でしたね。みなさんはいかがお過ごしでしたか?
毎年この日に思い出すのは、初めての飼い犬だった「クマ」のことです。 物心がついたときにはもう家にいたクマ。夜な夜なえさをねだりに来たのがきっかけで我が家の一員になったそうです。毎晩やせこけた小さな雑種の野良犬にえさをあげているうちに、きっと母の情が移っていったのでしょうね。 全身の毛は茶色なのに、なぜか顔だけが真っ黒でした。「クマ」と名づけられた野良犬は、それ以来、桜の古木がある庭の隅っこに小さな犬小屋つきの居場所を見つけ、7年近く家族の一員として共に生活をしていくのです。 当時、両親はよく週末の夜にはクマから鎖をはずして「遊んでおいで!」とご近所に放していました。(今考えるととんでもない!とご近所様から大目玉を喰らいそうですよね。)当時住んでいた、横浜の保土ヶ谷区和田町町内会の皆様、あの時は本当にスミマセンでした!! 水を得た魚と化したクマは、のびのびと近所を走り回り、ご近所の犬仲間にちょっかいを出したり、時たまケンカを吹っかけたりして散々遊びまわり、数時間後に意気揚々と我が家に戻ってきていたそうです。 首輪に「児玉クマ」と書いてあったから、飼い主さんから苦情が来てもおかしくなかったのに、そんなお叱りもあまり受けた覚えはありません。やっぱりご近所の皆さんは寛容だったのかなあ。それともクマが悪賢く立ち回っていたのでしょうか? 今となってはわかりません。 夏休みには車に乗って一緒に家族旅行にも行きましたし、お正月、入学式、七五三、卒業式、などのイベント日に庭で記念写真を撮るときはいつもクマも一緒に写りました。一緒にいるのが当たり前の存在で、ずっと一緒にいるものだと思っていました。 なのに、クマとの別れは突然やってきました。 その日は激しい雷雨で大雨が降っていたのです。年を取って心臓も弱っていたクマは雷の音にショックを受けたのか、もう寿命だったのか、夕飯のえさをあげに小屋まで行った時は、縁の下でひっそりと丸まって死んでいました。 「ご飯だから起きて!」って何度も呼びかけても、いつもご飯を求めて寄ってくるときの鎖の音がしません。目の前にはクマがいるのに、やはりそこにはクマがいない。それは初めて私が体験した身近で大切な存在の「死」でした。 ちょうど30年前の七夕の夜の出来事です。 笹の葉と短冊が目に留まるこの時期になると、今でもよく無愛想な黒い顔と、前足の肉球の焦げ臭いにおい(前足をつかんで肉球の間のにおいをかぐのがなぜか好きでした)を懐かしく思い出します。 七夕の夜に旅立ったクマはきっと星になって今では天の川の一部になっているのかもしれません。 ほろ苦く、そして懐かしい思い出です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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