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親戚の叔母や実家の近所で私と懇意にしてくださる人から連絡がある。
これらの方々のお陰で私は実家の両親の様子を把握できている。ありがたいことだ。 最近の両親は穏やかに日々を過ごしているようで安心した。 やはり何といっても親なのだ。気にかからない訳はない。 いつでも頭の片隅に「父はどうしているだろう?」とか「母は又ワガママを言って周りの人たちを困らせていないだろうか」などと思っている。 だが、母は叔母たちに私のことを「絶対に許さない」とか「子どもなんて生むんじゃなかった、なんの役にも立ちゃぁしない」と相変わらずの愚痴をこぼしているそうだ。 それでも私はかまわないと思っている。 憎んでも怒っても、それを生きる原動力にしてくれているのだと思えば、腹も立たない。 ありがたいことである。 自分のことを自分で出来るということに母がどれだけ感謝しながら生きているか。 父の世話をしながら「自分が夫の面倒を見る」と決心してくれているのであれば、私は心から母を称えたい。 今まで何でもかんでも私は母の言うとおり、望むとおりにするのが親孝行だと信じて疑わなかった。 だが、それが逆効果になっていることに気がついたのだ。 「何も出来ない」そう言っていた母が何でも自分でやっているのだ。 これには私は元より親戚や近所の人が驚きを隠せなかった。 少し悪賢い子どものように「出来ることを隠して」母は自分を甘やかしていたことになる。 病院の先生からも言われたことがあった。 「あなたはお母さんを甘やかしていると思うよ。まだ寝たきりになることはないのだから、厳しく突き放すことも考えて見なさい。今のままではお母さんは早くに惚けてしまいますよ」と・・・。 今になって先生の言葉が身にしみるように分かる。 私も未熟な人間なのだな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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