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台風12号豪雨災害の紀南地方、
海岸部に住む私には、 山間部の被災地に行くことはなかった。 被災地は近隣の町であり、 何人もの知人のいるが、 山間部の被災地を見たこともなかった。 海岸部の被災地で、 ボランテイアーに参加していたから、 山間部の被災地に行くことはなかった。 被災地の状況はどこも同じような状況で、災害発生から3ヶ月もたっているから、道路も通行可能になっていると思っていた。それで、和歌山県の飛び地北山村に行くことにした。豪雨災害の特に大きかった被災地ではないが、北山村への主要道路である168号線は大きな被害があった。その168号線で行く日本唯一の飛び地北山村は日本唯一のじゃばらの産地である。そして、秘境瀞峡は、一足遅い紅葉が見頃ことだろうと思ったし、じゃばらの収穫祭などニュースもあったから、問題なくいけると思っていた。 新宮から熊野川沿いをさかのぼる168号線を行くのではなく、熊野市で用事が済んでから、豪雨災害のひどかった井戸川をさかのぼり、瀬戸の集落を通り、大峪トンネルを抜け、那智黒の里神川町から、七色ダムを通り、北山村に至るルートを予定していた。熊野市からは30分もあれば着く距離だから、奥瀞温泉でのんびりとした時間が過ごせると思っていた。 さて、熊野市の用事もすみ北山村めざして井戸川沿いを走ると、瀬戸の集落を過ぎようとする辺りで、通行止めだ。関係車両以外は通行止めの看板だが、前を走る工事車両は看板など気にしないで走っていく。でも、一般車両は通行止めだった。関係車両以外通行禁止でも、神川の住人とか言って通ることも可能では考えたが、復旧工事の邪魔になるだけと判断した。紀和町から行くルートを思いつた。 311号線を紀和町に向かった。風伝峠を越えると右折して山間部の狭い道路を走る。何度も工事車両と出くわし、何度もバックして交わす。そして、しばらく走ると、片側通行の場所で、工事車両と乗用車が角突き合わせて立ち往生状態だ。そんな風景を見ると、急遽、予定変更で、北山村行きは中止だ。311号に引き返し、熊野川沿いで最も号被害の大きかった熊野川町をめざして北山川を渡る。 紀和町から北山川の橋を渡ると新宮市だ。311号線を北山川沿いに走っていると、何分もしないうちに奈良県十津川村に入いる。そして、山間部に入った311号をしばらく走ると住所は新宮市熊野川町宮井。山間部は風景は豪雨被害とは無縁の風景だ。熊野川町の対岸熊野市紀和町小船も災害の大きかったが、車から見える風景には、豪雨災害の痕跡は見えない。 熊野川沿いで最も豪雨災害の激しかった熊野川町日足地区に入っても、3ヶ月も過ぎているから当然だが、災害の爪あとは感じても、災害発生直後の凄惨さなどない。それでも、何となく、被災地の重苦しさを感じるの、最も被害の大きかった熊野川町という潜在意識のなせるわざだろう。 災害復旧へ感謝のために開放されている熊野川温泉さつき湯で、温泉に浸かり一時を過ごした。さつき湯のドアを開けると泥の臭いが鼻につく。泥臭さは豪雨災害の惨さを実感させる。さつく湯の中も長い間泥が堆積していたと、泥臭さが教えてくれる。何となく、罪悪感さえ感じる温泉の一時であった。 熊野川沿いを下ると、変わり果てた熊野川を見ることになった。豪雨被害の大きさ、凄さを改めて知る熊野川の原型をとどめない風景だ。川全体が崩壊しているような那智川や井戸川とは違った災害の形を見る思いだった。表現が適切かどうか別にして、熊野川の風景は川ではなく抉り取られて地肌剥き出しの渓谷だ。別の言い方をすると、両岸が剥ぎ落され、川底が抉り取られている感じだ。 さまざまな災害の形があり、同じ災害の形はありえないと、当然のことを再確認した。被災地の風景は、凄惨で無慈悲な色彩は共通でも、同じ形ではないと改めて感じると同時に、自分の知的狭量を感じる風景でもある。3ヶ月過ぎた被災地の風景に、3ヶ月過ぎた被災地の現実に、復旧復興への果てしない時間を感じたが、12月1日だった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011.12.02 00:58:35
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