絶えず祈らなければならない、でも先入観を持たずに
牧師先生がルカによる福音書18章6節から8節「まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。言っておくが、神は速やかにさばいてくださる。しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか」という箇所を用い、「だから大切なことは『気を落とさずに絶えず祈らなければならない』となる」と言う話をしてくださいました。その時、私はふと、その前のところを読んでいて、17章25節「しかし、彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない」という文章が特に気になりました。LGBTQと呼ばれる、性的マイノリティの人々。おそらく、多くのクリスチャンの方々が受け入れにくい存在なのではないかと思います。受け入れやすいなら、おそらくクリスチャンが多数を占める国では、LGBTQの方々の生きざまを尊重するような法律があるだろうと思います。もし「人の子」がLGBTQの人であったなら。人の子が来るときに果たして地上に信仰を見いだすだろうか、という箇所を思います。気を落とさずに、でも『昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために』どのような裁きになるのか先入観をもたずに、絶えず祈らなければならない、私はそう思います。https://blog.goo.ne.jp/o-heian/e/224a70c1dd98a58c0d7eac4576bf3ea0