|
カテゴリ:雑感
先日の事件から。
例えば、更正したとして。 「普通」の感覚からしたら(この際、ナニが普通かという議論は抜きにして) 自分の犯したあまりにも残虐な事件を直視することができなくて、きっと 普通になんて生活していくことはできないし、生きていくこともできないだろうと。 過去を無かったことにすることはできない。 その重罪に対してできること、償うことと言ったら・・・ どんなことをしたとしても、どれも償いになんてできない。 例え、自分の命を捧げたとしても。 だって、死んでしまったら生き返ることは決してないのだから。 更正の意味って、ナニ? 自分のしでかしてしまった罪を認識させること? そして、それを一生抱えて苦悩させること? そうして生き地獄を与え続けることなんだろうか? 佐世保の事件でも。 トラブルを起こさないことが「更正している」基準となるのだろうか? 犯した事件を直視することが不可欠と言っているが、それはアタリマエのこと。 それを抜きに「更正した」とは到底言えず、それによって情緒不安定になるのは 当然のことだろう。 それを数年のウチにやって、それで「はい、更正しましたので」と言って社会に でて、何事もなかったように生活していくことになるなんて。 全然根本的な解決にもなっていなんじゃないか? 極刑だけが全てじゃない。 死んだからって許されるようなコトじゃない。 だけど、何かが間違ってる、そんな気がする。 毎日、毎日、続く子どもが犯す凶悪事件。 そんなことが無くなるようになるには。 一体どうすればいいのか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年07月01日 15時53分05秒
コメント(0) | コメントを書く
[雑感] カテゴリの最新記事
|