陽気な日本人に関する150年ほど前の記録
アフガニスタンの子供たち↑(1977年4月3日、ヘラート、アフガニスタン) Heavenese(ヘブニーズ;「神代の国」に伝えられた「清き明き心」の持つグローバルな力と魅力を、VIVIDな演出とパフォーマンスによるエンターテイメントにより世界に発する一座)の座長マレ氏が、「 緊急事態メッセージ 第2弾!今こそ日本人力」(https://youtu.be/JYEBbL9A2-0)のメッセージの中で、明治維新前後に日本を訪れた人々が日本人の陽気さに関して書き残した記録を紹介していましたので、そのうちの7人の言葉を皆さんと共有したいと思います。1.シェラード・オズボーン(日英修好通商条約のための英国使節団のフューリアス号艦長) 江戸に上陸して気づいたことは、不機嫌でむっつりした顔に一人として会わなかった。2.リュドウィック・ド・ボーヴォワール(フランスの伯爵、「ジャポン1867年」の著者) それにこの民族は笑い上戸で心の底まで陽気である。われわれのほんのわずかな言葉、ささいな身振りを大変におもしろがる。3.リンダウ(スイス通商調査団団長) 日本人ほど愉快になりやすい人種はほとんどあるまい。良いにせよ悪いにせよ、どんな冗談でも笑いこける。そして子どものように、笑い始めたとなると、理由もなく笑い続けるのである。4.ディクソン(イギリス人、工部大学校教師) ひとつの事実がたちどころに明白になる。つまり上機嫌な様子がゆきわたっているのだ。群集のあいだでこれほど目につくことはない。彼らは明らかに世の中の苦労をあまり気にしていないのだ。彼らは生活の厳しい現実に対して、ヨーロッパ人ほど敏感ではないらしい。西洋の都会の群集によく見かける心労にひしがれた顔つきなど全く見られない。頭をまるめた老婆からきゃつきゃつと笑っている赤子にいたるまで、彼ら群集はにこやかに満ち足りている。彼ら老若男女を見ていると、世の中には悲哀など存在しないかに思われる。5.ラザフォード・オールコック(イギリスの医師・初代駐日総領事) 全く日本人は、一般に生活とか労働を大変のんきに考えているらしく、何か珍しいものを見るためには、たちどころに大群衆が集まってくる。6.グスタフ・クライトナー(オーストリア軍人、外交官) かくも難儀な仕事をしているにもかかわらず、この人たちは常に上機嫌で気持ちの良い挨拶をしてくれた。彼らは、歩きながらも締め付けられた胸の奥から仕事の歌を口ずさむ。喘ぎながら歌う歌は、左足が地面につく時、右足が大股に踏み出す力を奮い立たせる。7.エドワード・モース(アメリカの動物学者) どこへ行っても、都会の町々の騒音の中に、律動的な物音があるのに気づく。日本の労働者は、働く時は唸ったり歌ったりするが、その仕事が、叩いたり、棒やかいでかき回したり、その他の一様な運動であるとき、それは音調と律動を持って行われる。鍛冶屋の手伝いが使用する金槌は、それぞれ異なる音色を出すようにできているので、気持ちの良い音が連続して聞こえ、4人の者が間拍子をとって叩くと、それは鐘の一組が鳴っているようである。労働の辛さを気持ちの良い音か拍子で軽めるとは、面白い国民性である。【Bon appétit !】 Edward S Morse (1838-1925) was one of the first Americans to live in Japan, teaching science at the Imperial University of Tokyo, and he devoted much of his life to the task of documenting life in Japan before it was transformed by Western modernization. In addition to preserving the household records of a samurai family and many accounts of the tea ceremony, Morse made notes on subjects as diverse as shop signs, fireworks, hairpins, agricultural tools, artists' studios, music, games, printing, carpentry, the Ainu, gardens, household construction, art and architecture. (https://www.galileo.usg.edu/teen/unga/databases/meij-nga1/?Welcome)